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カテゴリ:地理
となりのテレ金ちゃん-テレビ金沢]2015年10月6日放送の「仰天コロンブス」のコーナーで、「なぜ石川県は、「金沢県」じゃないの?」という話題が登っていました。
たしかに「石川」より「金沢」方がブランド力、知名度ともにありますよね。実際に金沢に訪れている観光客に、「ここは何県?」と尋ねると速やかに石川県と答えられたのは52名中45名でした。 ちなみに47都道府県中、県庁所在地と都道府県名が違うのは18県あるそうです。 実は、「金沢県」が存在していた時期もあったのです。明治2年の天皇に版(土地)と籍(人)を返還する版籍奉還では、原則として藩庁のある場所を藩名にするとの決まりで加賀藩は金沢藩と改名されました。 そして、明治4年の廃藩置県で、金沢藩は金沢県と改名されます。しかし、北陸地方は、金沢県、富山県、大聖寺県などと面積もばらばらで土地も2つに分かれた複雑な地図になっており、明治5年に石川県、七尾県、新川県と整理されてしまいます。 金沢は石川県の端っことなってしまったために県庁は美川に移されてしました。美川町は石川郡にあったために「石川県」と命名されました。 ところが結局、明治6年、七尾県が廃止となったために再び県の中央である金沢に県庁をもってきたという話です。でもそのときなぜ「金沢県」と改名しなかったのでしょうか?それは、当時の県令(県知事)だった内田政風が薩摩藩出身で、それほど金沢にこだわりがなかったためと言われています。 新しい時代が切り開かれていった明治維新で、このようないきさつがあったのですね。 (ニコニコニュースより) ------------------------------ 金沢は日本海側を代表する都市で観光地でもあり、全国的に知名度は高い。 加賀百万石の城下町から金沢県の県庁が置かれたところまでは順当だったが、その後一時的に石川郡美川町に県庁が移ったことで石川県になったおいう経緯。 県庁が美川に移ったのは金沢県と大聖寺県が一つになったことで金沢が県域の中心でなく端になってしまったという理由からだが、初代県令の内田政風(薩摩藩出身)が金沢士族の中の不平不満を持つ人々への政治的圧力を加えるためとの説もある。 ちなみに「石川」の由来は礫の多い川とされており、犀川を指すという説と手取川を指すという説がある。 礫が多いなら手取川の方がそれっぽく感じるが。 ところで記事中二示された「速やかに石川県と答えられたのは52名中45名」というのは意外と多いんじゃないかな。 県庁所在地と都道府県名が違う中で回答率が低そうなのは「津」「松江」あたりかなと推測する(あくまでも主観ですよ)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.10.19 02:19:19
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