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カテゴリ:空中写真・衛星画像
真田丸 守りの半円か、攻めの四角か 実像めぐり異説(朝日新聞)
今年の大河ドラマのタイトルにもなっている「真田丸」。 1614年の大坂冬の陣で真田信繁が立て籠って徳川方に大きな打撃を与えたされるこの出城の形状について、さまざまな論争がある。 従来知られていた真田丸の形状は半円形だった。 大坂冬の陣の配陣図や豊臣時代の大坂城の図面には、総構の堀から突き出すような半円形が描かれているものが多い。 しかし奈良大学の千田嘉博教授は、真田丸は四角かったとしている。 千田教授は広島藩主の浅野家に伝わった城郭の図面集「諸国古城之図」着目、大坂城全体を描いた「大阪惣構」では真田丸が半円形に描かれている一方で、「摂津真田丸」では破壊後の真田丸跡が方形に描かれているのだという。 主郭に描かれている3軒の寺は現存し、それらと大阪明星学園の土地は今でも周囲より数メートル高まっている。 千田教授は方形の真田丸の痕跡は現在の地形にもよく残っているとみている。 大阪歴史博物館の松尾信裕研究主幹は真田丸半円形説を支持する。 その根拠は真田丸は冬の陣講和後に完全に破壊され、地形も大きく変わったはずていう点だ。 これに対して千田教授は自身のTwitterで 「現在は帯状の低地や道路になっている真田丸の堀跡は、地中レーダー探査で科学的に規模や断面形状もつかんでいます。そうした成果を無視して、『真田丸は冬の陣の後に破壊され、元の地形はわからなかった』と発言する『専門家』が、今だにいるとは。真田丸の堀は冬の陣の数十年後に見えなくなったどころか、元禄4年の『大坂絵図』は真田丸の輪郭を描き、『加賀築山』を記し、つい70年前の航空写真は、帯状の低地や道路として堀を写していました。ごく最近まで真田丸は見えていたのです。基礎資料を無視したコメントは、本当に残念です。」 と反論している。 また、国土地理院の坂井尚登氏は、絵図と第2次大戦直後に米軍が撮影した航空写真を比較した結果、正方形に近い五角形という画期的な説を発表している。 大河ドラマの影響もあり、この論争は大いに注目を集めるところとなっている。 古い絵図や米軍撮影の航空写真を素材としてどう評価すべきかという点でも興味深い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.12.05 01:02:39
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