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カテゴリ:地理
一戸~九戸を巡るライダー向けガイド地図 (日本経済新聞)
岩手県の二戸市観光協会が「戸の旅 ポケットマップ」なるガイドマップを作製した。 岩手県と青森県にまたがる「戸(へ)」地名である一戸町、二戸市、九戸村(ここまで岩手県)、三戸町、五戸町、六戸町、七戸町、八戸市(青森県)を対象エリアとしたライダー向けのガイドマップ。 同観光協会では2016年から8市町村の観光振興プロジェクトを始動、ツーリングで首都圏などから北海道に向かう際の経由地になっていることに注目して、ライダーに特化したマップの作成に取り組んだというのが経緯で、観光案内にとどまらず、地元ライダーの協力で走行する際の道路情報が盛り込まれているのが特徴だという。 確かに旅人にとって「戸(へ)」の町は気になるところ。 特にバイクでめぐっていると、次から次へと現れる「戸」地名には興味をそそられるのではないか。 気になるのは「一戸」から「九戸」まである中で「四戸」がないことだ。 ひとつだけないのはやはり不自然に感じる。 これについて、青森県のホームページ(キッズ向け)に解説がある。 それによると平安時代後期、現在の青森県東部から岩手県北部にかけて糠部郡が置かれた際に、郡の中が9つの地区に分けられて一戸から九戸までの地名がつけられたそうで、「戸」は、「○○地区」的な意味合いをもつらしい。 9分割された以上、当初は四戸もあったことになるが、近くに集落がなくて使われなくなったのではと推測が書かれている。 一方国立国会図書館のレファレンス協同データベースにもこの疑問への回答が掲載されている。 それによると、下「鎌倉期、糠部(ぬかのぶ)郡の地頭となった北条氏が、郡内を一戸~九戸、さらには東・西・南・北の四門に分け、代官を派遣し管理させた。」とあり、四戸の地名が存在したことは確認でき、また1634年に糠部郡を4群に解体する内示があり、地域名としての四戸が公式に消滅したとの記載があるという。 つまり四戸は江戸時代初期に消えた地名ということになる。 また、当初城があったのは三戸とされるが、現在では町としてもっとも大きいのは八戸市。 どういう歴史をたどってそうなったのかも興味あるところ。 この夏ツーリングで一戸から九戸までの完全制覇に挑む人が増えるだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.05.31 00:31:16
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