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テーマ:小学生ママの日記(28707)
カテゴリ:今日のコト
ウチの子、今年7歳。日本で育ったのは約2年。その後は渡阿(←でいいのか)
日本で育ってたなら今年の4月から小学生。がしかし、阿弗利加で育っている為にもう今年小学3年生になるらしい。 阿弗利加の小学3年生が日本の小学3年生と同レベルなのかは謎。ウチの子のレベルは果たして7歳並のレベルなのか、はたまた10歳並のレベルなのか。 レベルはまぁいいとして、私は夜中にウチの子に国際電話したのよね。時差9時間。向こうの夕方くらいにかけないと学校でお勉強中でもいけないしね。 初電話だったから番号違ってたらどうしよぉ…な~んて思ったけど、ウチの子の義理姉が出たので一安心。ウチの子に代わってもらった。 いつもウチの子と話をする時はウチの子からかかってきてたので、私からの初着信でちゃんと私の存在を分かったのかは謎。一応『日本のママです』なーんて言っておいたけど。 なんか周りが騒がしかったので(多分お手伝いの女の子の声。いつも怒鳴ってる…)引け目を感じてしまった私。そんでもってウチの子のテンションがいつもと何だか違った(低かった)のですぐに電話を切った。 またそのうちかけよっと。 ところでなぜウチの子だけ阿弗利加に居住してるのか…。 ウチの子が2歳の時、私と元旦那とウチの子と3人で、元旦那のお国、阿弗利加へ行ってみたのでした。 私と元旦那の子育て計画というものは、『国際的になってもらう為に亜米利加で教育させよう』だった。日本じゃまだまだ国際感覚に疎いし、インターナショナルスクールは費用が高い。 日本の保育園に通っていたウチの子は、すっかり日本人らしさを学んでいき、ちょっとした事ですぐ泣いてみせたり、ダダこねたり、日本語も話すようになっていった。 という事で、阿弗利加で一先ず英語を覚えさせ、小学生くらいになったら亜米利加留学させようってな意気込みだったわけ。 他にも理由はあって、日本で子育てしつつ仕事をするっていうスタイルが全くできず、例えば子供が保育園で熱出したらすぐ迎えにいかなきゃいけないでしょ?そういうのを受け入れてくれる企業ってのはまだまだ日本じゃ少ないと思うわけ。 私は当時まだまだ若かったし、若い人達が社会に出て働いてる姿がすごくカッコよく見えたわけ。主婦&ママなんていつでもできるけど、社会に出てバリバリ働くのは年齢も限度があるし、ましてや若い頃に経験積んでおかなければ、いざ自分が社会復帰できる環境になった時に未経験で雇ってもらえない…。 主婦&ママではなく社会人でいたかったのね、私は。元旦那も自営とはいえ多忙人だったからいつも子供と一緒に仕事に行くわけにもいかない。家族は私達3人だけだったから他に面倒見てくれる人はいない。 そんなこともあって、とある家族を見つけたわけ。阿弗利加で。そのとある家族が、ずーーーーっと今のところウチの子の面倒見てくれてるのね。 阿弗利加じゃ、大人数家族は当たり前だし、両親共働きでも誰かしらが家にいて子供の面倒だとか家の事をやってくれる人はたくさんいる。子供だってたくさんいるから、子供同士退屈する事もない。 今となっては私と元旦那はもう一緒じゃないから、元旦那が基本的にはウチの子の親権を握って色々とやってくれてるわけね。これからも阿弗利加を拠点として生活していくのかは分からないけど、立派に成長しているようで、遠い地に住む私としても本当に嬉しい限りだわ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Mar 21, 2006 01:57:39 PM
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