終活写真のすすめw(営業)
趣味が高じた写真撮影もついにプロを名乗るほどの不埒物の馬鹿野郎になったわけだけどネットの注文を受けるようにしているので長崎なんて田舎にはあんまりないww気軽に写真撮ってとか面倒くさいこと言われない伏線でもあるからいいんだけど・・wまぁ・・大きく稼いでも困るし小遣いほどあればいいで今のご時世は団塊の世代が一気に平均年齢を押し上げて街を歩くと私を含めて暇そうなじいさんばあさんが増えたwwだから今からの写真は終活かな?と思ってるんだけどなかなか遺影写真となるとすすめるにも言葉が難しい・・なんだか縁起が悪い気がするのも仕方ないしねでも終活という言葉には少し余裕がある終活って終わりの日を迎える準備みたいなことで上手く・良く・立つ鳥跡を濁さず終わろうってことで安心して死ねるための準備ってこと・・いつの間にかそんな世代に近づいたとも言えるけど若い人だって交通事故にでもあったら明日なんてわからないわけだから他人や家族に迷惑をかけないように身の回りのことくらいはちゃんとしなさいねって戒めでもあるんだなと・・それで大事なものとか入ってる保険とか印鑑がどうとかひとまとめにわかりやすくしたりするみたいだけど泥棒にでも入られたら一発だなという気もしないではないwwじゃ・・どうしろと・・??どの辺にあるよってだいたいの場所を口頭で教えとくのかな・・?とか・・終活ってことを説明するためにいろいろ考えたりするわけだ・・私は写真家だから写真的な状況は説明しやすい例えば親父が亡くなった時でも葬儀用の写真を今出せすぐ出せと葬儀屋に言われる・・葬儀に間に合わないからだけど一般に写真撮られたら魂抜かれるなんて言う輩は基本的に写真に写ってないww写ってても横顔とか変顔とかまともな写真なんてないことが多いわけで旦那さんが亡くなって写真に困ったって奥さんの話はよく聞くそれで結局団体旅行に行って仕方なく写った集合写真かなんかの1センチくらいの大きさの顔をめちゃくちゃ引き伸ばすことになる・・当然ボケボケの不本意極まりない写真になるわけだ・・でも家族や他人はそれでもいい・・問題は本人なわけで私も以前心筋梗塞で半分死んだことがあるんだけど死んでからもしばらく魂はそこらにいるという感覚は強く持っている心と体は別だと考えているんだけどそうすると死んでから自分の写真を見てすっごく後悔しそうな気がする何も準備していなかった自分が悪いんだけどそれでも他にもっといいやつがあっただろう?これか??とたぶん人生で最後の後悔は棺桶の中ですることになると思うわけだだから写真はここにあるからねと・・言っておくだけで家族も困らないし自分も満足できる準備とはそういうことだと思うわけ・・まぁね・・60過ぎたら若い人と違って何年たってもそうは変わらない5年とか10年とかに1度撮ってりゃそれでいいその時よりちょっと若いまだ生き生きしてる自分が残せるってこと・・どう?理解したらご注文はこちらまでww