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カテゴリ:マ~モ
ミア・ファロー 彼女を初めて画面で見たのはロマン・ポランスキー監督作品「ローズマリーの赤ちゃん」だった。エキセントリックで病的な妊婦役を演じた彼女に怖気を奮ったひとも多かっただろうと思う。しかし、人間として初めて”悪魔の子”を宿した彼女の演技は中々見事なものであった。このとき、ミアは23歳。
ローズマリーの赤ちゃん ミアは1945年2月9日、ハリウッドの脚本家兼監督のジョン・ファローを父に、ターザン映画のジェーン役で人気があったモーリン・オサレヴァンを母として、カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれた。 裕福な”ハリウッドの子供”として、7人兄妹の3番目に生を受けたミアは、ビバリーヒルズの豪邸で何不自由ない生活を送っていた。 9歳のとき、彼女は小児麻痺にかかり、”鉄の肺”の中で1年を過ごし多くの死を見てきた。奇跡的に死の淵から甦ったミアは命の大切さを考える少女に育つ。 17歳の頃、彼女は東南アジアやアフリカの子供を救いたいとおもうようになり、小児科医を目指した。しかし、両親は既に年老い、父は映画界から見放され、母の舞台収入だけが頼りだった。 「生まれてこのかた、幸せな女優などみたことがない。女優にだけはなるな」と常々云っていた父が63年に心臓麻痺で急死、ミアは家計を助けるために舞台の”端役”を探してあるきまわった。 そして、小さな役を得た彼女の舞台を、たまたま”スカーレット”のヴィヴィアン・リーが観てくれ、励ましてくれた。ヴィヴィアンは母の友人だったのだ。 (父の言葉に背くけど、やっぱり私は女優になろう) ミアはこう決心を固めた。その頃、彼女は偶然シュールレアリズムの画家、サルバドール・ダリと知り合いになった。 ダリと妻のガラは、ミアを愛してくれた。奇行と奇癖で知られたダリは、ある日、ミアに言った。「靴を右と左、逆にしてみなさい」と。 数日後、ミアは映画「バタシの鬼軍曹」の出演依頼を受け取った。それに続きTVの「ペイトン・プレイス物語」にも出演が決まった。おまけに恋まで転がりこんできた。50歳の歌手フランク・シナトラとの結婚だった。彼女が21歳。シナトラは50歳、1966年のことである。 秘密の儀式 しかし、この結婚は僅か2年で破綻。だが、仕事は順調だった。リズとの共演作「秘密の儀式」、「ジョンとメリー」、などである。だが、転機となったのは「華麗なるギャツビー」への出演である。 1980年代と1990年代前半には、監督ウディ・アレンと数々の作品で一緒になる。その当時のアレンの映画にはほぼ全部出演している。主な作品は「ハンナとその姉妹」、「カイロの紫のバラ」、「アリス」、「夫たち、妻たち」などである。 私生活でミアはシナトラと別れた後、5年後の71年、作曲家アンドレ・プレヴィンと結婚、双子の男の子の母となった。そして、それを機に”生きている義務”を果たそうと決め、ヴェトナムなどの孤児を養子として育て始めた。 しかし、夫の心は新しい恋人に移り、75年、二人は別れた。2年後、実子3人、養子3人を抱えた35歳のシングルマザーは、監督兼俳優のウディ・アレンと恋に落ちる。子供も出来た二人は仕事上の良きパートナーとなり、アレンの作品に次々に出演した。 だが、92年、悲劇がやって来た。アレンが養女の一人、スン=イと性的関係をもったのだ。このスキャンダルはマスコミの格好の餌食になった。 その後、大家族を養うため彼女は必死に働いた。その他作品には「オーメン666」「ナイル殺人事件」「アーサーとミニモイの不思議な国」など多数ある。 ナイル殺人事件 現在、ミアは14人の子供を持ち、そのうち10人は養子である。彼女はユニセフとのかかわり合いでも見られるように、政府機関で養子の奨励に積極的に取り組んでいる。64歳の彼女に幸せあれ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.12.03 14:05:26
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