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テーマ:男優たちの華麗な酒盛り(277)
カテゴリ:カ~コ
コーネル・ワイルド、大した役者と思っていなかった彼の演奏技に圧倒され、演技を見直したのは「楽聖ショパン」を観た時だ。
「楽聖ショパン」ショパンの生涯を描いた感動ストーリー 病弱にも拘わらず祖国の救援のために世界各地で演奏旅行を実施し義捐金を作るショパン(コーネル・ワイルド)。愛人のジョルジュ・サンド(マール・オベロン)から「自殺行為だわ」と反対されても、彼は命を賭けて決然と実行する。 この演奏旅行のシーンは実に見事だった。彼の弾くピアノの連弾はさながら決闘のようだ。プレスコ(音を先録りして、撮影現場ではその音を流して演奏場面を撮影する方式)か、シンクロか分らなかったが、鬼気迫る演奏である。 手のアップは当然プロが見せる指の動きだろうが、彼も相当練習を積んだに違いあるまい。見事に作曲家になりきっていた。 この映画で彼はアカデミー主演男優賞にノミネートされたのも頷ける。 コーネル・ワイルドは1915年10月13日、ニューヨークの中心街マンハッタンで生まれた。両親はスロヴァキア共和国(旧オーストリア・ハンガリー帝国)出身。 1933年にニューヨーク市立大学シティカレッジに入学するが1年で中退。その後、あらゆる職業に就きながら、1936年にベルリンで開催された第11回夏季オリンピック(ベルリンオリンピック)にフェンシングアメリカ代表男子選手として出場する。同年に端役で映画デビュー。 1940年に舞台『ロミオとジュリエット』で俳優ローレンス・オリヴィエのフェンシングのコーチをしながらティボルト役で出演しているところを認められて1941年本格的に映画デビューを果たす。 数本の映画に小さな役で出演した後、チャールズ・ヴィダー監督の「楽聖ショパン」(1945年)でフレデリック・ショパンを演じ、アカデミー主演男優賞候補に選出される。 以降、ハリウッドにおいて、恋愛映画、活劇並びにフィルム・ノワール等の映画作品でハンサムなタフガイとして、尚且つ、ハンガリー語、フランス語、ドイツ語、英語、イタリア語とロシア語に堪能なことから国際的スターとして活躍する。 彼の出演作としては、「地上最大のショウ」「哀愁の湖」「ビッグ・コンボ」などがある。 また、1950年代に映画制作会社を設立し、自ら映画製作に乗り出し、「大雪原の死闘」(1955年)等では出演のみならず、監督・製作・脚本を手掛けている。 私生活では2回の結婚、1989年10月16日、享年74歳で天国の住人となった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.04.06 12:05:19
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