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グロリア・スワンソン、彼女の名を覚えておいでの方はどれくらいいるだろうか。無声映画時代の大スターである。
その彼女の作品を見たのは高校生の頃だった。映画の題名は「サンセット大通り」だ。ビリー・ワイルダーが、忘れ去られたハリウッド大女優の哀しくもすさまじいまでの末路を描いた傑作である。 サンセット大通り 当時56歳のスワンソンは、久々に主演したこの作品で鬼気迫る演技を見せ絶賛を浴びた。過去の栄光にすがって虚構の世界に生きる大女優の姿は観る者を圧倒せずにはおかない。 「二度と映画を捨てません・・・映画こそ私の人生、それ以外ないんですもの」 劇中のノーマ・デズモンド(グロリア・スワンソン)のセリフが私の心に響いたことを今でも思い出す。 ハリウッドの非情さを見事にあぶり出したこの映画は名作だと言えよう。その後、彼女をスクリーンで見たのは、「エアポート’75」だった。 エアポート'75 彼女は1899年3月27日、イリノイ州シカゴにて、スウェーデン系の父親とポーランド系の母親の間に生まれる。出生名はGloria Mae Josephine Swanson (or Svensson)。 プエルトリコ、シカゴ、キー・ウエストなどで育つ。学校を終えた後はデパートで販売員として働くようになる。 特にショービジネスに興味はなかったが、1914年からエキストラとして映画に出演するようになる。1916年にロサンゼルスに移り、マック・セネット(Mack Sennett)のコメディなどに出演。 1919年にパラマウント映画と契約。セシル・B・デミルに見いだされる。身長約150センチと小柄ながら、豪華なセット、衣装を用いたゴージャスな作品で、人気を博す。 週に100万ドル稼ぎ、100万ドル使うスターと呼ばれた。1916年に俳優のウォーレス・ビアリーと結婚するが3年後に離婚。二度目の夫、実業家ソンボーン(Herbert K. Somborn)との間に娘グロリア(Gloria)を出産。出産後もスターとしての人気は衰えず、初めての子持ちのスターでもあった。 三度目の夫は、「在りし日のナポレオン」撮影中、フランスで通訳を務めたド・ラ・ファレーズ侯爵(Marquis de la Falaise)。貴族と結婚した初めてのハリウッド女優だった。(貴族と結婚したポーラ・ネグリと張り合ったと言われる。) この結婚と同時期に、ケネディ大統領の父親であるジョセフ・P・ケネディと不倫の関係にあったことを、50年後に出版した自伝で初めて明かした。関係は3年続き、カトリックであるため離婚のできない彼のため、身を引いたという。 4度めにはマイケル・ファーマーという男性と結婚し、二人目の娘ミシェル(Michele)をもうけるが3年で離婚。5番目の夫とは45日間しか共に生活しなかったという。最後の夫となったウィリアム・ダフティは作家・脚本家で、彼女の死まで共に暮らした。 1950年のビリー・ワイルダー監督作品「サンセット大通り」において、サイレント時代に活躍し忘れ去られた女優という、彼女自身を投影した役でカムバックした。この作品でゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ドラマ部門)を受賞、アカデミー主演女優賞にもノミネートされた。 彼女の出演作品はサイレント作品だが、「男性と女性【淀川長治解説映像付き】」「クィーン・ケリー」がある。「世界の名画DVDコレクション5<2枚組>」はオトク版だ。 希代の女優は数多くのゴシップを残し1983年4月4日に天国へと飛び立った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.04.08 11:11:17
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