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シネマに賭けた青春「夢を追いかけた日々」の想い出

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カテゴリ:カ~コ
クロード・レインズ、この人は実にユニークな登場をした。デビュー作品が、あの「透明人間」である。

彼はこの映画の主役で映画界に現われたのだが、これが何とセリフだけの役、顔を見せたのはラストの1カットだけだった。無理もない、透明人間の役だから顔の包帯を取ると何も見えないガランドウである。死んで初めて素顔が見れるという次第。

透明人間

この作品はトーキー初期のSFホラーの快作で、公開(1933)当時オドロキをもって迎えられレインズは人気者になったそうである。


彼は1889年11月10日、ロンドンで生まれ、10歳でロンドンの舞台『Nell of Old Drury』にエキストラとして出演したことから俳優を志し、俳優の呼び出し係となる。1911年にヘイマーケットで端役として初舞台を踏む。

その後、舞台監督として『青い鳥』のオーストラリア巡業に参加、1914年から一年間、メルボルン、シドニーを回り、自身も時折舞台に出演する。帰国後は折からの第一次世界大戦のためイギリス陸軍に従軍、その際、戦闘中に敵の毒ガス攻撃により片目を失明する不幸にあう。

1919年に除隊、シェフィールドの劇団を経てロンドンの舞台に立ち、働きながら王立演劇学校に学び、この頃にジョン・ギールグッドやローレンス・オリヴィエと知遇を得る。

1920年にサイレント映画に出演、1926年には当時の妻だった女優のビアトリクス・トムソンを伴いニューヨークに行き、妻が主役で彼が端役として夫妻で舞台出演する。

しかしこのアメリカ巡業で実力が認められ、1928年にブロードウェイに主役として出演。1933年にボリス・カーロフの代役として映画『透明人間』に主役の透明人間役として出演。

透明ゆえにレインズの顔はスクリーンには出てこなかったが、映画が大当たりし、これによりレインズの名も一躍有名となる。

その後ブロードウェイに一度戻るも、ハリウッドに呼ばれ、1934年に「情熱なき犯罪」に殺人に手を染める辣腕弁護士役で主演、本格的な映画俳優としてのキャリアがスタートする。

1935年にワーナー・ブラザーズ社と長期契約、以来個性の強い演技で、準主役ながらも常に主役をも食ってしまうような存在感で人気を得てきた。1939年に「スミス都へ行く」のラストには汚職議員役でアカデミー助演男優賞にノミネート、1943年に「カサブランカ」で要領のいい粋な警察署長役で二度目のノミネート、1945年の「愛の終幕」、1946年の「汚名」でも同賞にノミネートされたが、一度も受賞には至らなかった。

  

第二次世界大戦後はジョージ・バーナード・ショー自らが脚色した歴史喜劇「シーザーとクレオパトラ」でクレオパトラ役のヴィヴィアン・リー相手にジュリアス・シーザー役で主演。

その他、出演作品には、「オペラの怪人」「狼男」「幽霊紐育を歩く」などがある。
   

1947年にフリーとなり、映画出演のかたわらニューヨークの舞台に立ち、1951年には舞台『Darkness at Noon』でトニー賞を受賞した。

その後は1962年の「アラビアのロレンス」、1964年の「偉大な王の物語」に映画出演、舞台は1963年の出演を最後に退き、1967年5月30日に内臓疾患のために世を去った。

生涯で結婚は7回、4人目の妻との間に一女をもうけた。





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Last updated  2010.04.10 11:29:58
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