カテゴリ:わたし
昨日の日記に制服のことを書いたら、昔のことを色々思い出しました。
そこで、「私がえらくなれなかった理由」シリーズとして思いつくままに私の人生に対する自戒も込めて、私がいかに今の自分の置かれた立場に自らの選択(ミス)によって辿り着いたかを記してみることにします。 1.~大学受験 私は親の期待に沿えず、小学校受験には見事失敗して地元の公立小学校に行きました。 このことは私の人生のなかで貴重な体験となっています。 後悔はありません。 そして小学校4年生から望んで塾に通い始め、以来ピーク時の6年生のときには週7日のうち6日は塾へ行く(すべて自分で選択、希望)生活をしていました。 文句を言わずに自分達は節約しながら塾の費用をすべて払ってくれた親には感謝しています。 その甲斐あってか(実際は特殊な受験方式をとる学校だったので、受験勉強をしなくても入れたのですが、)中学からは私立校に通うこととなりました。 大学受験の準備に入るまでは塾にいく必要もなく、ひたすらクラブ活動(部活)をやっていました。 中2では化学が大好きになり、将来は薬剤師になりたいと思いましたが、数学が嫌いだったので数学が必須となる理系はやはり無理だと早々にあきらめをつけてしまいました。(中3のレベル分けでは上級に入れるほど成績は悪くなかったんですけど、証明問題以外は大っ嫌いだったんです。) 高校1年生の終わりに私の人生の歯車を狂わせる出来事がありました。 私の学校は音楽教育に力を入れてました。高校1年生の芸術科目は音楽、書道、美術の中から選択だったので、私は音楽を選択しました。 音楽の授業はクラスを3つに分け、学理、合唱、演奏を交代で行いました。 演奏のパートのとき、私はクラリネットやバイオリンをそれなりに上手にひいたので、学理、合唱とあわせてA評価をもらえるものと信じていました。 しかしながらある日、授業中先生が話している間にうっかり友達と机の上でおはじきをしているところを見つかってしまい、「おまえらでてけ~!!」と怒られたときに「スミマセンでした」と言う代わりに「はい、わかりました」と言って本当に教室を出てしまったのが災いしました。 年度末の音楽の評価はCでした。あんなに人並み以上に演奏し、一生懸命歌を歌い、立派なレポートを書き上げたのにです。 先生がおはじきの一件をかなり根に持っていたのは明白でした。 このCは私の成績表においては唯一のものであり、唯一のCが選択科目の芸術でつくとは完全に「想定外」でした。 私はできれば推薦入学で大学に行きたいと思っていたので、他の科目でもまずまずの成績をとりました。 なのに、高1の音楽で、いきなりCを取ってしまったのです。 私は「でてけ~」に対して「はい、わかりました」と言ったのと同じ潔さを以って、このCを唯一の理由として推薦入学をあきらめました。 (普通なら2年目からさらに気を引き締めてがんばって挽回しようと考えるものでしょう) 高校2年からの私は人が変わったように悪い生徒になりました。 学校の勉強なんかやってもあんまり意味がないのです。私の目標は希望の大学に入ること。学校でいい成績をとることではなくなりました。 英語の授業だけはレベル分けで一番上のクラスにいたのでやりがいを感じたのと、そもそも好きだったので真剣にやりましたが、それ以外の科目の授業中は眠っているか早弁しているかノートにバカなことを書いているかお手紙を書いて回しているかのいずれかでした。 その分、高2から予備校に通い始めました。高3の生徒ほど切羽詰ってもいなかったのでゆとりの心境でした。 こんな勉強法の結果、私はテストにおいて、先生が授業中に強調したこととか授業で扱った題材などが出てくる前半部分ではあまり点数が取れない代わりに、後半の応用問題で着実に点数を稼ぎ、結果的に成績は悪くないという先生から見れば最もたちの悪い生徒になりました。 そんなこんなで高3のある日。一日平均7時間以上勉強した夏も終わり、周囲の友人の一部はすでに短大への推薦入学を決めて肩の荷を下ろしていました。外国語に強い某私立大学を目指していた私にとってはこれからが受験勉強の本番、というところでしたが、英語と古文にはめっぽう強いものの世界史が苦手だった私はふと弱気の虫に襲われ、もしかして、との気持ちから私に入れる推薦入学枠がないかとめったに行かない職員室に足を踏み入れました。 結果、評定平均4.0以上の人に応募資格があるかわりに推薦枠の中で試験が行われるという某大学の某学部(まったくの想定外)であれば一つ枠が空いていますと言われ、しかも、高1の最初の学期ををピークにじりじり下げていた私の評定平均はジャスト4.0だったので、「それじゃあ、他に候補者が現れたらそれはそれでいいですが、もし他に誰も希望しないならば入れてください」と頼んでしまいました。 「推薦入学っていうのは一度決まったら断れないんですから(断ったら翌年以降の枠がなくなるかも!)、第一希望であることが条件です。本当に行きたいんですか?」と言われても引き下がらずにいたら結局私が最後の一人として推薦枠に入り込み、試験を受けに行きました。倍率は2倍でした。 結果、私は見事合格してしまいました。 この件は、私の授業態度をよく知る周囲の友人達をも大いに驚かせました。(「よりによってXX子がなぜ推薦なんかで大学行かれるわけ…?!」(だって他に希望者いなかったんだも~ん)) 私が入った学部は本来の受験予定(英語関係オンリー)には入っていませんでしたが、物事を都合よく考える主義の私は、「私がこの勉強をすることになるのは運命の導きなのかもしれない」とか思いながら、これにて受験勉強を終了しました。 (これ以降、卒業までは必死で受験している友人達には申し訳ないけどあまり学校にいかなくていい間、ずっと内緒でアルバイトをしていました。当時の時給550円なり) 人生失敗のポイント:目標をいとも簡単に、しかも目先の小さな失敗や苦労を理由にあきらめ、努力をせずに放棄してしまう 捨てたもの:薬剤師になる夢、希望大学への推薦入学、希望大学の受験、希望の専攻 得たもの:予備校での知識、まったく関心のなかった学問への導き、アルバイト代(15万円ぐらい?!) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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