Joe Meekについて
60年代初めに人工衛星の名を冠した世界的ヒットのインストナンバー「テルスター(トルネードズ)」をプロデュースしたジョー・ミーク。米軍レーダー技師や家電メーカーや音響エンジニアを経験した技術屋上がりのプロデュース能力は、音楽家が制作の主力だった当時としては異能の存在だったのだろう。音楽的な才能はさして無かったが、時の電気楽器のテクノロジーと宇宙開発時代に即した雰囲気作りはヒットを連発し、彼を超多忙の売れっ子へと押し上げたとか。その後有名になる多くのミュージシャンが彼の作品で演奏している人脈を調べると60年代から70年代への混沌とした流れを垣間見ることが出来る。Ritchie Blackmore, Chas Hodges, Mick Underwood, Nicky Hopkins, Boz Burrell, Mike Giles, Peter Giles, Lord Sutch, Jerry Lee Lewis, Matthew Fisher, Big Jim Sullivan...ゴードン・ハスケルの著書を読んでいるとミークについての記述も結構あり、いかに当時の音楽を志す若者をたくさん抱え込んでいたかを感じさせる。ミークが拳銃自殺した67年、ミークにダウランズ時代から世話になってたジャイルズ兄弟が行き詰まりを感じてザ・ブレイン(トレントセッターズの成れの果て)を解散している。ビートバンドが新たなアートロックの時代の訪れに変貌していく中でのミークの死でもあったのが印象的でもある。70年代にゴードン・ハスケルが加藤ヒロシと組んだバンドJoe。もしかして彼ジョー・ミークに捧げられたのであろうか?6月10日追記:ジャイルズ兄弟が61-63年に仕事の合間に参加していたDowlandsであるが、当時の多くのレコードがそうであったように、レコーディングはB.J.サリバンらレコーディング・ミュージシャンを使い、ジャイルズ兄弟は巡業だけの可能性も高い。以前ラインナップされてたGiles Brothers名義CDが「LIVE」のタイトルだったのもそのせいかもしれない。今少し調査が必要。