ゴードン・ハスケル / サード (1979)
11年前に日本限定CDで出た幻のサード・アルバム。予定された79年当時にアルバムは発表されず、収録曲はRCAなどから小出しにシングルで出回っただけだった。セッション時代に曲つくりで溜め込んだ50曲以上が元になっているようで、サード制作前に関わった山口百恵のアルバム「ゴールデン・フライト」レコーディング参加時に日本側製作者にデモテープを試聴させ意見を求めたりしている。制作は1978年で79年発売予定が立ち消えたのが1997年日本で日の目を見た作品集。英語での原題は Serve at Room Temperature である。先日このCDをまた聴いていた時、プロデューサー名を見てひっくり返った・・・Bill Kimber見落としていた・・・そう、ちょっと前にもゴードン関連記事でも書いてあった南アフリカのプロデューサーであるBilly Forestであり、南アフリカの歌手としてはQUENTIN E KLOPJAEGERとして、英国ではWilliam E. KimberやWaygood Ellisの変名でもレコードを出していた本名William Charles Boardmanの79年当時RCAのA&R担当でもあったBill Kimber氏である。ああ、なんてややこしい・・・でもこれで、パンク全盛時の79年に何でゴードンがアルバムを制作できたか、その繋がりを感じ取ることは出来る。60年代末に南アフリカでゴードン楽曲でNo.1ヒットを二つ、世に送り出したプロデューサーとの関係が70年代末も継続していた訳だ。(ゴードンは自伝の中で、マイ・オールド・フレンドとプロデューサー氏を称している。)残念ながらサードアルバムは、制作当時テストプレス(ジャケットも何もない白ラベル)で少数が関係者に配布されたのみだったようである。以前書いたブログでは、ホントにサードアルバムだったのか、シングルの寄せ集めだったのでは?と疑ったりもしたが、実際のテスト盤の存在が確認できたので、サードアルバムとしての制作は確か。ちなみに日本盤CDは廃盤になり入手が難しいが、英国などでは2003年に発売されたものがあり、こちらは海外サイトで流通している。シングルを聞いた30年近く前から好きだったPeople don't careなどが収録されており、個人的に好きなCDとなっている。◆ゴードンが在籍したバンドの順番を今一度整理してみる◆まず、同級生フリップとのRavensそしてその展開したバンド、The League of Gentlemenフリップが大学へ進学し、ゴードンはThe Dowlandsへ66年、再編されたLes Fleur De Lysへ加入(英語読みだと「フラ・ダ・リーズ」だが、ゴードンはバンド名をフランス語読みしている為、「フルール・ドゥ・リー」と発音する。Lesが冠詞で付いている以上フランス語読みが本来の読み方なのかもしれない。日本のラルク・アン・シェルみたいな感覚でしょうか?)プロデューサーのビリー・フォレスト関連で、シャロン・タンディのバック演奏と曲つくりに参加したホールド・オンがスマッシュヒット。引き続き、クエンティンの歌Lazy Life(1967)とワンダの歌Zanzibar(1968)が南アフリカでチャートトップ。フリップは病院でゴードンの母からその経緯を聞く。フリップの呼びかけでキューピッズ・インスピレーション加入、アルバムにも参加するが短期間で離脱。続いて花咲くサンフランシスコのヒットで知られたザ・フラワーポットマンのツアーに参加。オーストラリアでもハート・アンド・ソウルがカバーしたLazy Lifeがヒット。69年、初ソロアルバムSail in my boatを発表。クリムゾン2NDでパートタイムで唄った後、3RDアルバムで加入。録音終了後、コンサートリハ中にフリップに離反し脱退。2NDソロアルバム、It is and It isn't発表(1971)。ジョン・ウェットンらとのソロツアー中に失踪事件でツアー中断。( ※ 2015年3月26日追記、ハスケルのソロツアーは71年11月以降なので、この時既にファミリー入りしたウェットンの参加は無かったと現在は考えられます。)セッションやバンドメンとしてビリー・ヒューレイ、ブリン・ハワース、クリフ・リチャード、ティム・ハーディン、スタクリッジ等バンドを転々する。75年、加藤ヒロシ、ジム・ラッセルとJoeを結成、シングルやライブでも活動。この後、加藤の仕事のながれで、山口百恵「ゴールデン・フライト」とグラフィティ・ハウス・バンド名義での企画アルバム「いかすぜジャック!ツイスト決定盤」に参加。ツイストアルバムでは全篇リード・ヴォーカルでオールディズを唄いまくっている。そして70年代末、上記サードアルバム制作へ繋がる事になる。不明事項:1969年のTerry DurhamのアルバムCrystal Telephoneベースがゴードンの可能性が高いが未確認。あとマージーズ関連のバンドQuotationsのシングル参加は、Haskell was also a member of a Liverpool band called the Quotations, formed by ex-Big Three bassist Johnny Gustafson (before he joined the Merseybeats), who recorded for English Decca ("Alright Baby" b/w "Love You All Over Again") in 1964.と英文サイトで紹介されているがはっきりと事実関係を確認出来ていない。( ※ 2015年3月26日追記、いくつかのトラックにおいてFleur de lysがリズムセクションを担当したそうです。現在はCDでリイシューされており安価で購入できます。 この作品の主である故テリー・ダーハム氏の娘さんが公式サイトやツイートをしています。)