クリムゾン脱退後のマクドナルドとジャイルズが参加したウッズ・バンドBBC音声
King Crimson脱退後のIan Mcdonaldは、マクドナルド・アンド・ジャイルズのレコーディングに手間隙をかけていましたが、その後ゲイとテリーのウッズ夫妻のプロデュースに取り掛かりました。 しかしその後、マクドナルド・アンド・ジャイルズのジャケット内側のペイントを手掛け、ジャケットでも共に写っていた恋人シャーロット・ベイツとの別離から全ての作業を投げ出してアメリカに渡ってしまいました(参照文献:クリムゾンキングの宮殿 シド・スミス著)。(アメリカで数ヶ月間セラピーを受けた彼は帰国後EGマネージメントの勧めで現場復帰。T.Rexの大ヒットシングルGet It Onのレコーディングセッションに参加し、アルトサックス2本とバリトンサックスを吹き込んでいます。シングルの発売がLPに先駆け71年7月2日となっているので、彼の復帰は春から初夏にかけた時期だったのでしょう。) この当時、ウッズ夫妻との活動もあって一時ウッズ・バンドのアルバムにはマクドナルドが参加しているという噂が70年代にあったわけですが、そのセッションのマクドナルドの演奏を聴く事は今まで出来なかったのでした。 現在Youtubeに1970年に放送されたBBCラジオ番組トップギアで流されたセッション音源が唐突に公開されました。いつ無くなるか判らない貴重な音源なので、イアン・マクドナルドのファンからしてみると物凄いお宝登場!ってな感じでしょうか。もちろんドラムスはマイケル・ジャイルズ先生。こちらも要注目ですね♪Gay & Terry Woods, Ian McDonald, Michael Giles - 1970-11-03 - BBC, Top Gear sessionGay & Terry Woods1970-11-03 London, England Top Gear BBC Studios1. January Snows2. I Feel Concerned3. A Nobleman's Fair Daughter Gay Woods - VocalsTerry Woods - Concertina, Electric GuitarIan McDonald - FluteMike Giles - Drums 私自身もモーガル・スラッシュの出演したBBCトランスクリプションLPを所有していますが、色々検証した結果マクドナルト+ジャイルズの参加したウッズ夫妻出演の「トップ・オブ・ポップス」放送用LPの型番は Top of pops BBC Transcription Services #365 (1971)であると推測しました。 トランスクリプション・ディスク自体が番組を欧州など様々なラジオ局に番組販売する為のLPである為、枚数自体が一回につき50枚程度しかプレスされてないので、中々表に出てくる事がありません。また市場に出回ってるにしても貴重な音源の場合非常に高価です。 クリムゾンのアムステルダムライブのBBCトランスクリプションLP自体、程度が悪いものですら5万円以上で取引されてたことがありました。それ以前に所有コレクターが果たして放出するかどうかという問題もありますね。 LP自体のつくりが非常に丁寧で、音質も極上なので、動画でのダビングコピーを重ねたような粗悪さは無いと思いますが、何せこの回の物は現物も画像もみたことも無いですしね。ちなみにLPには番組内容のタイピングされたキューシートが付属しています。楽曲などのデータも当然載っているでしょうね。肝心のMcdonald and Giles自身のアルバム制作が延び延びで、LP発売が1970年11月21日になったのもあり、このラジオ出演70年秋当時にクリムゾンファンは彼らの動静に驚いた事でしょうね。■2015年3月26日追記■ このセッションの後、レコーディングプロジェクトであったマクドナルド・アンド・ジャイルズはコンビが自然消滅的に解消し、互いに別々の道に進むことになったのはファンの皆さんがご存知の通り。 故北村昌士氏が1981年に発表された名著「キング・クリムゾン 至高の音宇宙を求めて」では、マイケル・ジャイルズがその後アンディ・パウエルやロビン・トンプソンと共にカム・トゥ・ジ・エッジというバンドを組んだがひと月ほどで抜けたと記されていました。 81年当時と違い現在はネットで情報が見られる時代ですので、この件をサーチしたところ、マイケルが70年代彼らと組んでいたのはテリー・リードのスタジオで彼らと行なったリハーサルのみだったようです。 1970年8月にジョン・レノンのレコーディングにアラン・ホワイトが呼ばれ、ワイト等フェスに出演するテリー・リードのバックバンドに欠員が出てしまい、ドラマーとして急遽マイケル・ジャイルズが叩いたのが縁で呼ばれたのかもしれませんね。パウエルらのカム・トゥ・ジ・エッジはその後数人ドラマーをオーディンションしたとパウエル氏のサイトに書かれていました。