YES最初期ラインナップの謎について
イエスのギグ記録を徹底的に調べ上げてリスト化しているサイトがあります。Forgotten Yesterdaysというサイトがそれで、コンサートごとのメンバーも網羅されてます。http://www.forgotten-yesterdays.com/index.asp 以前会長からご紹介を受けた様に、YESというバンド名はイエスの結成よりニ年ほど前、クリスとバンクスが、デヴィッド・オリストから「THE SYNってバンド名はダサいよね。他に変えたら?」と問いかけられて、バンクスが思わず「イ、イエス」と答えたという冗談みたいな会話がその発祥でしたw YESのスタート時点は証言者によって諸説入り乱れますが、上記のForgotten Yesterdaysでは、彼らの新バンドが1968年8月3日にEast Mersea Youth CampにてYES名義でライブを行なった日を最初として扱っています。 8月31日でビルがYESを抜け、9月6日のマーキーからドラマーがトニー・オライリーに変わってからのライブもデータベース化されており、トニー・オライリーの参戦は11月18日ニューキャッスルシティホールのギグまでである事が判ります。アンダーソンらと同居してたドラマー、デイブ・ポッツがYESとのリハを行ない試されてたのもこの8月末から9月初め頃と推測できます。(結局マーキーのマネージャーから推薦された年上のオライリーが加入しますがw) オライリーが怪我で入院しドラマー不在となったイエスが、当時同じフラットに住んでいたイアン・ウォーレスに急遽助っ人参戦してもらったのは、ロンドンはBlaise'sでの11月5日のギグで頼んでた事が確認できました。 68年の11月8日は、二箇所でのギグ。グラナダシアターがトニー・オライリーが叩いたギグ。そして同日のロニースコッツではビルが叩いています。 この様な2人のドラマーの併用はおそらくビルを復帰させようとを口説く為に時間が掛かっていたのをあらわしてるようにも思えます。ドラマーがビル・ブルーフォードの日もあればトニー・オライリーの日もありとwビル・ブルーフォードのYESへの正式復帰は、一覧にて11月26日のロイヤルアルバートホールと記されてます。クリームの解散コンサートの前座を勤めたと言うアレですw