Category
(400)
(530)
(791)
(177)
(111)
(94)
(100)
(32)
(14)
(44)
(80)
(24)
(5)
(4)
(2)
(25)
(29)
(17)
(2)
|
|
キング・クリムゾンのデビューと共に歴史に残る超ど級の作品として語り継がれるこの曲は、現在21世紀突入後の世界から考えていかなる意味合いを持つのだろうか?
そもそもこの曲の詩がピート・シンフィールドの脳内に沸き上がったのは、ベトナム戦争が深刻化し世界中に反戦運動の波が広がっていた最中だった。リハーサルルームから程近くの公園で散策していたピートの思考回路には、時の政治や戦争に対する怒りが渦巻いていたのであった。その強い憤怒のエナジーはそのままあの歌の短いながらも強烈なメッセージとなってデビューアルバムの冒頭を飾る事となるのである。
さて、あれから36年。
21世紀の現在は果たしてピートの予想の様になってしまったのだろうか?
かってアイゼンハワーの危惧した軍産の介入する米軍事政権化も著しく、その実状は覆い隠されて実質ベトナム以上の悲惨な状況となりつつあるのかもしれない
世界の悪者に仕立て上げられるイラクもイランも元々は、過去に米の「傀儡政権」が造られたから今の混沌たる状況が導かれているのである。そしてその責任をかの地の民に押し付け、自らは正義と言い張るのである。
この横暴はいずれ彼らの言う神に裁かれる事になるのであろう。
何故なら過去、人類の歴史において覇権を謳った権力は全て、
時のかなたへと押し流されて消える運命にあるから。
そして蛇足ながら
現在この曲の元タイトルの和訳は使用されていない。
元曲の指し示す対称は精神病理学的表現では決して無く
あくまでも血に飢えた軍事産業に向けたプロテスタントの抽象的表現である。
表現への過剰な自主規制も考えものであろう。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
もっと見る
|
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
エラーにより、アクションを達成できませんでした。下記より再度ログインの上、改めてミッションに参加してください。
x
|