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カテゴリ:色々ごちゃまぜ
主役とその事件に関わる登山家がバリュースターCMで浅田真央にキャーキャー言っているおふたりさんである。NHKの執拗な番宣にもうんざりだったので、全く期待していませんでした。
でも、同時間帯に見たい番組無いから避難するように見るはめに。。。 うーむ、久々にはまったかもしれない。 主役の玉木宏もなかなかいいですな。 放送が終わった後に白い巨塔の事を思い出したり。 フジテレビのリメイクの番宣が同じ様にやかましいくらいあったから、やはりかなり印象が悪かったのよね。「昔の作品で主役の田宮二郎は、この作品で燃え尽きてしまってその後の悲劇的な最期を」みたいなとんでもない事を平然とアナウンサーが喋ってたのには唖然を通り過ぎて怒りさえ感じたね。名作である事に異論はない。でも、リメイク作を盛り立てる為とは言えもう28年も前に自ら命を絶たねばならなかった役者の無念さを、勝手に自社作品に因果付けるのはおかしいんじゃないかと。 映画界で成功を収めたが69年永田社長と揉めて解雇、しかしTV界に鮮やかに転身し確固たるステイタスを築いた田宮二郎は、1973年自己プロデュースでスパイ映画「イエロードッグ」をスパイ物の本場イギリスで制作した(脚本は橋本忍)。ところが日本で公開しようとするとどこも劇場を貸してくれない、、、つまり締め出しを食らったのだ。当時の苦しい状況は彼の親友たちが多く出ていたTBS系深夜放送・愛川欣也のパック・イン・ミュージックにゲストで出た際にも語られている。たくさんの人に見てもらえるように頑張ると。(ちなみにこの放送時にも制作時の借金の話とかも出て、田宮氏が3億ほどと語っていたと思う)。 70年代から事業家としても活動しマンションやレジャー産業にも手を出すがこれもまた債権を増やす結果になってしまった。イエロードッグは77年に松竹系でようやく公開となるが散々キャンペーンして専門外の8時だよ全員集合まで出た割に興行的に失敗。制作された70年代前半ならともかく77年に旧式のスパイ映画は厳しかった。この頃から彼は精神科医に躁鬱の診断を下された。 過去彼が輝いていた映画白い巨塔のTV化に参加。番組は多くの素晴らしい役者の力で人気となるのであるが、田宮氏自身は当時抱えていたビジネストラブルが撮影にまで飛び火するほどの状態でクランクイン半年で1月の休暇を取るほどに憔悴してしまった。休暇後も快方に向かわず精根尽き果てていた田宮氏をスタッフや家族は2月後のクランクアップまで必死に支えていたそうである。 彼が猟銃を口に咥えて引き金を引いたのはクランクアップから間もなくの78年12月28日だった。死後、愛川欣也の放送は友人の無念さを慮る悲しみに満ちた放送となっていた。もしあの時、もう少しだけ映画を掛けられる劇場があったなら、負担が田宮個人に掛るのではなくスポンサーなり共同制作なりだったなら。今の時代なら簡単に思える事も当時はまだ5社協定の名残の色濃い時期で、今のような制作委員会を主体にプロジェクトを推し進めるなんて無かった頃である。タケシもパッチギの井筒和幸も映画は自分で金なんて出すもんじゃないと言ってるくらいだしね。無論、本業以外の事業での失敗続きというのも追いつめられる原因ではあっただろうが。晩年、苦悩続きだった彼はかつらを使わなくてはならなかった程、肉体的にも精神的にも追いつめられていたそうである。 今でもたまに衛星放送とかで流される旧い映画での彼の颯爽とした姿を見ると、今の芸能人は大スターなんかになっていなくてもいい分、精神的には楽なもかもしれないなと勝手に考えてみたりした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Feb 19, 2006 07:42:08 AM
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