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カテゴリ:色々ごちゃまぜ
最近の球団解散問題で渦中の人となっていた萩本欽一さんが2週にわたって登場となった。
今まで語られる事の無かった愛妻や家庭の話題や修行時代の経緯、そして史上最強とも言われた名コンビ・コント55号~その後の多忙な時代、そしてTV引退宣言から最近の球団結成への情熱までもがこれまでになくご本人からの詳細な心情と共に語られていたのが印象的であった。 70年代後半~80年代中期にわたる視聴率100%超の男と呼ばれた萩本さんだったが、恥ずかしがりな本人は控えめに見ているとしても周りからすれば多くの芸能人の才能を開花させ、ベテラン若手問わず多大な恩恵を受けた事は事実である。 番組で個人的にとても気になったのが本人自らが「ボクの弟子は斉藤清六だけ」と涙乍らにTVで初めて語った事である。清六さんと欽ちゃんの間での幾度もの別れと再会については、多くの視聴者は事実を知らないで見ているだけに何故欽ちゃんがあれほどの思い入れを語るのかと不思議に思う人も多かったかもしれない。 番組中でも語られた最初の出会い・突然の弟子入り志願、浅草にいって修行しなさいと諭され10年の下積み、欽ちゃん制作映画での銀座での自主的なサンドイッチマンでの応援から呼び戻された清六さん。そして、TVで目が出るまでの長い雌伏からあの特異なキャラクターを確立してお茶の間を沸かせるに至った経緯。当時はすっかりTVでお馴染みになった彼が今はホトンド表舞台から影を潜めてしまっている理由はさすがにTVでも語られなかったが、その複雑な人間関係は当の2人以外の当時の多くの有象無象の輩が巻き起こした事であり、事実関係を欽ちゃん自身が全てを把握しているかどうかさえ解らない。また、清六さんもしかり。欽ちゃんの性格からしてそんな事をわざわざ知りたいとも思わないだろうし、清六さんの性格からしてその原因全てを清六さんが招いた事とは思わないだろうし望まないだろう。 もう20年ほど前になるのか。詳細な額はここで書かないがその当時の清六さんの活躍から生じる収益はかなりになっていた。欽ちゃんの所属会社は手がけてきた多くの番組の関係上、多くの他の事務所とも繋がりが広範囲にあるのは当たり前だった訳だし、そうすると中にはそこに多くの他者の思惑が絡んで来る事もあったのだろう。A(以後イニシャルではない)という芸能人を抱えた某▲プロダクションに新人を担当するBというマネージャが当時いた。私個人も当時ディレクター名義を貸して出資していた●事務所にてそのB氏と話す機会があったが、海外のビッグネームのソングライターの名前を挙げて「これに歌を作らせて新人に歌わせたい」とかど派手な事を言い出して面食らったものだった。私はその外国アーチストがお金で動くような人じゃないと言われてますよ、相手の実力が無いと動かないと思いますよと言うと「なに、お金で動かない奴はいないよ」と笑いながら言われてゲンナリした記憶が今でも残っている。数ヶ月後、そのB氏と●の代表C氏がどこから持ってきた話だか清六さんの独立話を話していた。彼が独立したがっている。それが本当だったか、それとも誰かが焚き付けたのか?話をしていた彼らが業界から姿を消した今となっては確認できない。ただ、その独立話が裏舞台で蠢いていたのは私は認識していた。Cは、どう?マネージャーやらない?と私を含め数人に持ち掛けていたが、あえて火中の栗を拾う輩は現われなく、またC当人も背負うリスクを感じていたのだろう、自分でやるとはけして言わなかった。当時の仲間の一人Zが状況を憂い、意を決して俺が引き受けると勢い切り出すと事態は思わぬ展開を起こした。Cが独立されてしまう側の事務所に駆け込んで事の経緯を暴露したのだった。Cは何故その様な支離滅裂な行動を起こしたのだろう?端から見ると右手で火を付け左手で水を掛ける様な行為に見えたが、自分の身を売り込む手段に使おうとでも思ったのかどうかは解らない。錯綜した状況であらゆる関係者に憶測や怒り・失望を巻き起こしたその後、問題は誰にも何もプラスになる事を生み出さなかったのは確かだったのだろう。ちなみにBはその後不動産会社へすぐに鞍替えし、Cは都落ちし地方紙・代理店関連に関わったようだ。 たもとを別った欽ちゃんと清六さんの状況は思い起こす度に胸を痛くさせる記憶となったが、波瀾万丈番組内で欽ちゃんがその後日談を語っていたね。 91年の欽ちゃんの企画した映画へ、久しぶりに姿を現わした清六さんが「チケットをください」といってポケットからある限りの現金を積み上げた事。「私がいまいるのは欽ちゃんがいたからです」欽ちゃんが差し出すお金を制すると、その足で映画会社に赴き大金でチケットを買ったと言ってましたね。 そして、その後欽ちゃんが舞台に出演させようと連絡を取ると「今は出られません」と断ったくだり。舞台初日3日前に突然欽ちゃんの目の前に姿を現わし、「出演させてください」と懇願した清六さん。呆れ返った欽ちゃんがどうして今になって来るんだと問いただすと、「今までオフクロの看病で来られませんでした。3日前に死にました。」 馬鹿である。だがしかし、どうしようもなく愛される馬鹿で不器用である。様々な思惑にその人柄故に利用され振り回されたりもした愛すべき喜劇人・斉藤清六よ。願わくばこれからの活躍を願わずにはいられない。しかし、欽ちゃんもたくさんの、本当にたくさんの人間の願いを背負って大変だ。彼と彼の球団のこれからの活躍を期待しよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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