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いまだに公共の電波でカゴの事をゲージと言ってるレポーターやアンカーマンがいる。
ゲージは定規。 犬やネコ用、小鳥・小動物用と色々あるがケージである。 最近はTVで見なくなったけど、鬼塚ちひろの歌でもあったよねぇ「ケージ」 以前「動物を可愛がる人に悪い人はいない」と言われる幻想について広島ドッグパーク問題と共に書いたが、ペット先進国アメリカでも動物保護官が警察と同等の逮捕権を行使し日々奔走していることからもペット産業が発展するほど前出の言葉の無意味さが浮き彫りになるものだ。 しかし、日本のマスメディアは野放図なペット産業を助長こそすれ、警鐘を鳴らすのはいつも事件性のある問題が起きてからの後追いになりがちでもある。 ペットを所有すると言う事が生物の生殺与奪の責任を負うと言う事を取り違え、その目の前の小動物に対し自身が圧倒的な優位性を持っている事を履き違えてしまうのかもしれない。 子供の頃に虫やカエルやトカゲ等をタモ網で追い掛けてついつい傷つけたりバラバラにしてしまって、それがあっけなく息絶えてしまう無常さ。今の状況でそれを理解しろと言うのは難しいのだろうか? さて、最近元イラク大統領サダム・フセインの死刑が執行された。 イラクの問題の根幹も考えず、ほいほい金や兵隊を送り込んだ私達日本人は、アラブの嘆きと混迷を遥かなたの紛争として実感無くニュースで慢性的に聞かされる。アラブの民は寛容で慈悲深く、多くの場合言葉が通じなくても触れ合うと素朴で明るい人柄が好ましい。しかし、日々のニュースで聴かれる状況は嘆きと怒りの感情ばかりである。振りかえれば彼らがこのような状況に押し込まれてしまったのも彼ら以外の介入が余りに多く、その複雑な状況はアラブの歴史をきちんと読み返さねば軽軽に判断できるものでもない。 新潮45で紹介されたが、今年に入りフセイン元大統領ら拘留中の元高官達の管理をしていたエリス曹長の交流記録が英字新聞に掲載されたそうである。曹長はフセインを死刑の日まで健康に生かしておいくのが任務だった。フセインはその米兵に「なぜイラクを攻めてきたんだ」と問い、曹長は「政治の問題であり、私達兵隊はそんな事に無関係なんです」と答えたと言う。当然駐留する米の兵隊だって侵攻理由の大量破壊兵器を発見出来ない状況を知らない訳ではない。次第に曹長はフセイン氏と仲良くなり、葉巻を勧められたりする間柄になったという。曹長の弟が病気になり彼が一時帰国する際には心配し曹長を抱きしめ、兄弟とまで語りかけたと言う。別にこれをもってサダム・フセイン氏自体を擁護するつもりも無いが、人間性とその政治的な軌跡というものは得てして一致しないものでもある。ただ二人の友情によってサダムが幼子を寝かし付ける時におとぎ話を聴かせていた事や、娘が腹痛を起せば普通の親と同等に心配し、子供用の錠剤を割って呑ませた話などが語られたのだろう。日光を浴びに独房を出る時には残しておいたパン屑を小鳥に与え、荒地の雑草にまで水を与えていたと言う。だからといって彼が政権を掌握している頃の虐殺などが軽んじられるモノでもないが、人柄と政治と言うものは必ずしもリンクするものではない面があるのだと言う事を痛感する。そういえばあのヒトラーも青春期は純朴な画学生だったと思う。そう、普段明るい好青年が夜中に2chに悪口雑言で中傷文を書き記すこともあるわけであるし。 動物に対し優しいまなざしを向ける人類が何故同種同士でこれほど多くの問題を抱えねばならないのだろう?たぶん、その悩みの多さが人間の人間たる部分なのだろうが、20世紀に語られていた薔薇色の未来予想図は、21世紀を6年経ても未だどこにも見当たらない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 20, 2007 12:36:56 AM
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