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テーマ:キングクリムゾン(655)
カテゴリ:キングクリムゾンメンバーズワーク
ジャイルズ・ジャイルズ・アンド・フリップがキングクリムゾンに再編成されていく中では、様々な人々の協力があった事はファンには有名な話だ。まだバンドがコレといった仕事も無い頃に出資を請け負ってくれたイアン・マクドナルドの父の姉フィリスの亭主で実業家アンガス。バンドの進化の為に身を引いたピーター・ジャイルズ。バンド名が固まった69年1月にマネージメントを引き受けて自宅を抵当に入れてまでバンドに賭けたデヴィッド・エンゾーヴェンとジョン・ゲイドンのEG立ち上げの両人。
今回はこの中でジョン・ゲイドンにちょいとスポットを当てよう。 60年代に多くのビートバンドがイギリスでは無数に活動していたが、ジョン・ゲイドンも後にマンフレッドマンに加入することになるマイク・ダボが所属していたア・バンド・オブ・エンジェルズ(A Band Of Angels 1964-1966)でギターを弾いていた。 (右端がゲイドン、となりはダボ) メンバーは、マイク・ダボ(ヴォーカル 後にマンフレッドマン加入)、 ジョン・エドワード・ベイカー(リードギター)、 ジョン・クリスチャン・ゲイドン(リズムギター)、 デヴィッド・ロバート・ウィルキンソン(ベースギター)、 アンドリュー・チャールズ・マルコム・グライン・ペトレ(ドラムス 後にタイムボックス加入)。 マネージャーはエンゾーヴェンだったそうである。 64年、彼らは映画Just For Youにジョン・アンダーソンやイアン・ウォーレスのいたウォ-リアーズやアップルジャックスやマージービーツ等の若手バンドと共に出演している。(映画のサントラLPにも彼らの演奏は収録されている。) バンドの曲は、主にダボの書いたオリジナルに加えニール・セダカなどカバーもやっていたようである。 66年、マンフレッドマンからヴォーカルのポール・ジョーンズが抜けた為、その後任にマイク・ダボが加入し、フロントマンを失いア・バンド・オブ・エンジェルズは解散したようだ。 この後エンゾーヴェンとゲイドンの2人がどの様な道を辿ったのかは不明だが、キングクリムゾンと出会った頃には、芝居のエージェント会社にいたと言われている。ただ、この2人の経験やコネクションがキングクリムゾンの助走段階において、リハーサルルーム・ローディ・移動用専用車両等など、バンドに不可欠な投資を効率的に運用するのにその能力を遺憾なく発揮したのは想像に難しくない。時期が少し後の話だが、メル・コリンズをサーカスから引き抜いた時に、移籍料を吹っかけてきたトランスアトランティックとの交渉でメルを助けたのも彼らだとか。 キングクリムゾンがデビュー前に名を馳せた最大のイベント、ブライアン・ジョーンズ追悼コンサートに、クリムゾンをブッキングさせたのも彼らのコネクションが生かされたと言われている。 ゲイドンはキングクリムゾンがブレイクした後も、ELP、Tレックス(マクドナルドが退院後の復帰にGet It Onでサックスを吹いている)、ロキシー・ミュージック他のマネージャーとしてEGを退社するまで活躍した。 ア・バンド・オブ・エンジェルズの演奏は、現在いくつかのコンピレーションCDでも聴くことが出来るが、マイク・ダボの初期音源を集めたCDにもいくつか収録されている。 【CD】コレクション Vol.1/マイク・ダボ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 29, 2015 02:00:22 PM
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