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テーマ:70年代英国音楽(238)
カテゴリ:70’S
縁は異なもの 味なものというか、音楽の人脈を掘り起こすと、たまに思わず繋がり発見できる。マニアならではの密やかな喜びとでも申しましょうか。
大口さんのお通夜には沢田研二さんや岸部一徳さんなど、往年の音楽仲間があつまり別れを惜しんだそうである。彼のウォッカコリンズの相方、アラン・メリル氏についてちょろっと調べていたら、インタビューを載せておられるサイトがありました。 アラン・メリル 60年代後半からセミプロ的に音楽活動を始め、Watertower West(66-68)の後、68年春(3月?)、あのLeft Banke レフトバンクのオーディションで50名の中から選ばれ、シングルDark Is The Barkが発表された頃だけ参加していた模様。(後年レフトバンクのトリビュート作品にも参加している。) 68年夏、父の転勤で家族で来日した時に外人だけのGSバンドThe Readに加入。 ザ・ブルーインパルス MEET ザ・リード この当時一緒にステージに立ったバンドに来日中だった英国のThe Clinicというバンドもあったそうである。 The Read解散後、The Clinicのベースが抜けた穴にアランは加入したそうなのだが、この抜けたベースというのが、Archie Leggett。 そう、後にケヴィン・エアーズのホールワールドに在籍し、ベースのみならずアルバム「バナナムーア」では1曲渋い歌声をも披露しているあのアーチーである。 楽天ダウンロード Kevin Ayers『Bananamour』 ケヴィンの元をはなれた後のアーチーは、ジョン・ケールやキャロル・グリムスと仕事をしたが、独自に調べた所、92年末にかけてのツアーでケヴィンと久しぶりにステージに上がっている。残念ながら94年夏、アーチーはオリー・ハルセルの後を追う様に癌で亡くなった。 話を戻すが、The ClinicでハモンドB3をかき鳴らしていたのがアラン・リーヴス、キース・エマーソンとの旧知の仲で、今やキルビル2を始め多くの映画音楽を制作しているベテラン。60年代末にメリルを加えたバンドでイタリアを廻っている時に共演していたのが、後のマグマの前身CRUCIFERIOUSだったという。 この後メリルが日本に戻ってきてから様々な活動をした経緯は、冒頭リンクでどうぞ。加藤ひろしや山内テツなど、ロンドンと日本を渡り歩いた当時のミュージシャンの裏話も書かれています。 おっと、ガロの代表曲「学生街の喫茶店」でのベースも、アラン・メリルだとか♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 31, 2009 02:54:30 AM
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