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テーマ:ゴードン・ハスケル(164)
カテゴリ:キングクリムゾンメンバーズワーク
ゴードン・ハスケルが1967年Les Fleur De Lys在籍時、事務所の方針もあって様々なアーチストのバックを勤めていましたが、同時に彼は楽曲提供も始めています。このハスケル作Lazy Lifeという曲は今まで数回に渡りカバーアーチストで取り上げてきましたが、この1967年のウィリアム・Eのヴァージョンが初出のオリジナル・リリースになるようです。今回ご紹介するのは英国盤と同時期に発売されていたドイツ盤でピクチャー・スリーヴ仕様。
William E - Lazy Life / CRAZY HOW LOVE SLIPS AWAY (1967) Germany Polydor 59129 以前も書きましたが、この歌手ウィリアム・Eとは、南アフリカ出身の歌手ビリー・キンバーで、彼が翌1968年に南アフリカでQuentin E. Klopjaegerとして出した別ヴァージョンシングルが当地で2位になるヒットとなりました。こちらの1967年の方がどれほどのチャートを記録したのかは不明。英国盤は以前一度だけ市場に出ているのを見ましたがその後見てません。かなりのレア盤といえるのでしょうね。このドイツ盤も近年ではVG状態の盤質でしかみてません。もしもMINT状態が出たのなら恐ろしい値段になるかもしれません。 1967年というとゴードンは、シャロン・タンディに共作で書き下ろし演奏もしたHOLD ON、ティム・アンドリュースに楽曲と演奏・アレンジも施したYou Won't Be Seeing Me Anymore、そしてこのLAZY LIFEと3曲他の歌手への楽曲提供を現時点で確認できています。67年当時バンドへの評価がどの程度だったのかは当時の情報がなかなか無いのでうかがい知ることが困難ですが、バンドが成功の一歩手前までいっていたのは過去のインタビューやハスケルの著作等でも少ないながら読み取ることが出来ます。ブリンをギタリストに迎え入れた67年はある意味業界注目の若手バンドだったのかもしれません。当時の彼らFleursのライブ記録では、観客席にビートルズの面々やエリック・クラプトンが座っていて、クラプトンがショーの後にブリンに対し「僕は君のファンになったよ」と話したと書かれています。またジミ・ヘンドリクスとの共演やヴァニラ・ファッジに招かれて彼らの自宅スタジオでのセッション等、マネージメントの顔役フェンターがアトランティックの欧州重役だったのも手伝い、67年は彼らが一番旺盛な活動を行なった年だったのかもしれません。 今回取り上げた楽曲レイジー・ライフは、ウィリアムEとクエンティンEクロップイエガーが歌った他に、Billy Fury、オーストラリアのHEART 'N' SOULが歌っています。ヒットの記録に残っているのは南アのクエンティンのと豪州のHEART 'N' SOULの二枚ですが、もしかしたらまだ他にもカバーしている歌手がいたかもしれません。ゴードンはこの当時からかなりの数の楽曲を制作しており、それが1969年のファーストアルバムSail in my boatを出す際にも生かされました。 ■2015年3月14日追記■ 本シングル作にハスケル自身の曲が取り上げられたきっかけは、67年のレコーディングセッションの段階で「シングルのもう片面の曲を用意してない」という事態が現場で発生したのがあったそうです。 そこで「僕が書いたばかりの歌があるんだけど」とハスケルがレイジー・ライフを弾き語ったところ即採用。レコーディング後にこちらの方をA面で行こうとなったそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 29, 2015 12:31:59 PM
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