|
テーマ:ゴードン・ハスケル(164)
カテゴリ:キングクリムゾンメンバーズワーク
ゴードン・ハスケルGordon HaskellがFleur De Lys在籍時の1967年に行なった数多くのレコーディング・セッションからまた一枚。このシングルを出しているトニー・サイモンは、後にFleurs入りするトニー・ヘッドTony Headの変名。トニー・ヘッドは1960年前後からジャイルズ兄弟やロバート・フリップ、ゴードン・ハスケルらの人脈に名前が出てくる人物。複雑に入り組んでるドーセット出身者ファミリーツリーにおいてはDave Anthonyという名前で登場してきます。(アンソニーの略称がトニー。)
1961年夏にDave Anthony and RebelsというバンドでMichaelとPeterのGiles兄弟と活動し、その後The Sandsでもジャイルズ兄弟とバンドを組みました。またRobert FrippがThe League Of Gentlemenを抜ける1965年夏に入れ替わるように加入してたりします。その後、ハスケルらと Dave Anthony's Moodsを組みますがそのバンド名義による1967年唯一シングルにはハスケルは参加してません。 この後、デイブ・アンソニーがFleurs入る前にトニー・サイモン名義でトラック・レコードに残した一枚が今回紹介するシングル盤というわけです。 TONY SIMON - GIMME A LITTLE SIGN / NEVER TOO MUCH LOVE (Oct. 1967) プロデューサーはこの当時Fleursがバックを務めたり、LP&シングルレコードに参加していた米国の黒人ソウルシンガー、ドニー・エルバート。トニーの唄う歌もまさに60年代のソウルそのもので、ポップで乗りのいい楽曲となっています。レコーディングされたサウンドにはFleursのメンバーの他にピアノも聞こえているので、グラハム・ディーなりイアン・グリーン等の彼らと数多くのセッションをこなすプレイヤーが参加しているのでしょう。 レコーディングにはシャロン・タンディ Sharon Tandy も参加しておりハスケルらと共に行なったバックコーラスで声を確認できます。トニーは明けて1968年初めにトニー・ヘッドという名前でFleursに加入しましたが、ハスケルが3月のセッション後に脱退した為、一緒にFleursに在籍していたのは極短い期間だったといえます。 かなりマイナーな作品で滅多にお目にかかれないシングルなのでYoutubeに関連動画はありませんでした。しかしFleurs関連作品は変名リリースが本当に多いですね。これも当時のマネージャー:フランク・フェンターの手腕なのでしょうか。トニー・ヘッド氏ご本人はFleurs解散後もソロ作やシャロンとのデュエット作を残しましたが、2006年10月1日に亡くなられたそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 27, 2015 04:14:18 AM
コメント(0) | コメントを書く
[キングクリムゾンメンバーズワーク] カテゴリの最新記事
|
|