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テーマ:ゴードン・ハスケル(164)
カテゴリ:キングクリムゾンメンバーズワーク
今回はゴードン・ハスケル1969年ファースト・アルバム「セイル・イン・マイ・ボート」のリマスターCD発売記念と言う事で、彼のセッション歴でも異色と言えるソウルナンバーを取り上げます。
ゴードン・ハスケルが66年から68年春頃までFleur De Lysに在籍していた頃、多くのセッションワークに関わった件を今まで数々紹介してきましたが、今回もそのセッション作品。しかし、その後のソロワークにちょっとした繋がりを持っているシングル盤です。こちらのシングルは英国盤のほか、米国ATCO盤、ドイツ盤等が確認されてます。 DONNIE ELBERT - IN BETWEEN THE HEARTACHES / TOO FAR GONE (Jan. 1968) 50年代から活躍した米国のソウルシンガー、ドニー・アルバート。68年1月の本作品発売時期から計算すると67年彼が英国ツアーした流れで制作されたシングル盤と推測できます。Gordon HaskellらFleursの面々は、ドニーによるオーティス・レディング楽曲カバーLP(リリースは英国のみ)にも参加しており、このシングルもほぼ同時期レコーディング作業を行なった作品ではないかと考えられます。 先日当ブログで紹介した1967年10月発表のシングル、TONY SIMON - GIMME A LITTLE SIGN / NEVER TOO MUCH LOVE が、ドニー・エルバートのプロデュースであった事からもこちらのドニー本人のシングル盤も前年秋より以前の制作なのでしょう。 Donnie Elbert本人とAirf Mardinが共同プロデューサーとしてクレジットされており、For Royce-Fenter ProductionsとFleursの所属事務所の親分フランク・フェンターの手配による制作であることがクレジットから読み取れます。フェンターがアトランティックの英国窓口で重役であった事もセッションにFleursが起用される理由と思われます。 以前1991年のゴードン・ハスケルの証言をブログで載せました。その記事ではハスケルが1970年秋にキング・クリムゾン脱退後モーガルスラッシュ関係者に「アーメット・アーティガン(アトランティック社長)が着てる」と言われ、ハスケル自身がアーティガンに会いに行って弾き語りで歌を聞かせ、その場でセカンド・ソロアルバム制作が決まった経緯を翻訳し載せました。米国の大手レコード会社社長にいきなり会いに行けたのも、実はこのドニー・エルバートやアレサ・フランクリン他数多くのミュージシャンのバックメンを務めてたことで、旧知であった可能性がありますね。またハスケルが2NDソロでアリフ・マーディンにプロデューサーを希望したのも、本シングル盤でマーディンとの仕事を経験済みだったことが少しは影響したのかもしれません。 本シングルは両面共にアリフ・マーディンのアレンジで、Fleursがタイトなリズムセクションを担当する上にストリングスやブラクセクションが鳴り、お金を惜しまずレコーディングされた作品だと感じさせます。ハスケルが後年クリムゾンのリザード制作時を振り返り、マイクセッティングに一日中掛ける姿勢を批判してましたが、その際に彼が経験した米国黒人ミュージシャンの手際のよさを比較に出していました。たぶんそれらの経験のひとつに本作も含まれているのだと思います。 本作はYoutubeにもアップされていましたので、こちらで試聴が出来ます。 Donny Elbert In Between The Heartaches お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 27, 2015 04:13:46 AM
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