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テーマ:ゴードン・ハスケル(164)
カテゴリ:キングクリムゾンメンバーズワーク
今から5年半前にブログ記事千回記念で書いたゴードン・ハスケルのインタビュー記事の翻訳。
http://plaza.rakuten.co.jp/chop100/diary/200909290001/ この中でハスケル氏がセカンドアルバムIt is and it isn'tについて「ドラマーはビル・アトキンソン。モーガル・スラッシュのドラマー」と説明しているのを妙に思い、訳注に「ドラマーはビル・ハリソンのはずだが」と書いておりました。その後長い間疑問をそのままにしてきましたが、この度同一人物であった事が判りましたので書き記しておきます。 Mogul Thrash以前のBill Atkinsonは、1960年代初めから活躍したマンチェスターのバンドThe Raging Storms関連サイトでその名を見つける事が出来ました。何度かメンバーが入れ替わる中65年の画像に彼の姿がありました。翌66年にアトキンソンはThe Sisters Of Idle Dreamsと言うバンドで活動。このバンドがTHE QUESTIONS関連人脈である為当時Fleur De Lysにいたゴードン・ハスケルとレコーディングセッションで繋がりがあったのかもしれません。 その後ビル・アトキンソンは1967年秋Glass Menagerie(グラス・マナジェリー ガラスの動物園というテネシー・ウィリアムズの戯曲からの引用か)と言うバンドを結成。68年Pyeレコードからシングルを発売、翌69年にはロバート・スティグウッドのマネージメントの下ポリドールに移籍し、チャス・チャンドラーのプロデュースでシングルとLPを制作するもシングルが不発だった為LPはリリースされず終い。バンドは69年年末に解散したようです。 その後、モーガル・スラッシュ参加の際、名前をビル・ハリソン名義にした理由は不明ですが、直前にいたバンドマネージメントがあのスティグウッド支配下だった為契約上何らかの問題があったのかもしれません。また彼がハリソン名義で活動したのもこのバンドに参加していた時のみという事です。 モーガル・スラッシュ解散後のアトキンソンは、ゴードン・ハスケルのセカンドソロアルバムに参加後、グラス・マナジェリー時代の仲間とハードロックバンド、Thunderbird Sabdenを結成しましたがレコードリリースの情報も無いため成功には至らなかったのかもしれません。 その後1992年に亡くなったそうです。 現在彼の演奏である事がはっきりと判った上で聞く事が可能なのは、モーガル・スラッシュとハスケルのセカンドなどCDで再発されてる作品のみと言う事になります。 今までモヤモヤしていた事が判明して何となくスッキリしたのでこちらでご報告まで。 あ、つ-ことは、Gordon Haskell / It is and it isn'tでのリズム隊はまんまMogul Thrashだったのですねぇー。などと今更気が付いたり(遅いw) 最後にYoutube上に現在あるビル・アトキンソン参加作品のリンクも貼っておきます。 The Glass Menagerie - She's a rainbow (1968) The Glass Menagerie - Fredrick Jordan (1968) The Glass Menagerie I Said Goodbye To Me (1968) The Glass Menagerie - 'Do My Thing Myself' (1969) The Glass Menagerie - Do You Ever Think (1969) レイジング・ストームス時代のアトキンソン参加レコードがあるのかは不明。 動画サイトにあるのが62年のツイストモノなので、彼が参加する以前の物なのかもw お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 29, 2015 01:38:24 PM
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