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テーマ:キングクリムゾン(655)
カテゴリ:キングクリムゾンメンバーズワーク
「King Crimsonのリード・ヴォーカルの座に就き損なった歌い手」と言えば、バンド初期に何人かいましたね。
250ポンドでポセイドンでの歌入れセッションが内定しつつも、クリムゾンの所属事務所EGのマーク・フェンウィックが用意したアルバムを聞いたフリップが「スタイルがクリムゾンじゃない(彼の決め台詞のひとつらしいw)」と決断した事であっさり却下されたエルトン・ジョンを思い浮かべる方もいらっしゃることでしょう。後あったのはブライアン・フェリーでしたねー。 あともう一人、シド・スミスさんによるクリムゾン伝記本で書かれていた人がいましたね。ミュージカル「ヘアー」のオリジナルキャストだった「ピーター・ストレイカー」。せっかく契約交渉も進んでいたのに、相手方の所属プロダクションが提示した額が余りに高額だったので話にならなかったというアレですw このストレイカーさん、1943年生まれのジャマイカ人歌手/俳優。丁度この頃売り出してた新鋭の一人だったのでしょうね。だからこそ事務所も強気だったのでしょうか?この後に舞台版のロックオペラ「トミー」に出たり、アラン・パーソンズ・プロジェクト作品に参加など、映画やテレビ・舞台で活動された人だったようです。所属してる代理人が吹っかけたのでしょうから彼本人には罪はないと思いますがw 最近のお姿だとイメージが違うでしょうから、1969年に唄ってる映像を探してみました♪ Peter Straker - Aquarius (live in London, 1969) こちらは1972年のソロアルバムから Peter Straker - Before I've Said A Word (1972) かなりパワフルな歌いぷりですね。ただ彼がポセイドンのめざめで唄ってるイメージはちょっと湧かないと言うか何と言うか。もし彼が参加していたら、ハスケルにフリップがクリムゾン加入を口説いてた際うっかり口走った「リズムセクションを黒人で固める」路線に・・・いや、さすがにその前に「それはクリムゾンじゃない」とフリップが言うでしょうけれどもw ■3月28日追記■ 資料を漁っていたら1969年8月8-10日にプランプトンで行なわれた第9回ナショナル・ジャズ・ブルース・アンド・ポップ・ミュージック・フェスティバルにクリムゾン、ナイス、ピンク・フロイド、ソフツなどのバンドに混じって、ヘアーのロンドンオリジナルキャストによるショーもあったようです。そういう意味でもストレイカーさんは当時かなり注目を浴びていた人物だったといえるのでしょうね。 ■3月31日追記■ 重ねての追記、見辛くなりどうもすみません。 ツイッターでストレイカー氏の件をココモJP様から「ストレイカーをマネージメントしていたMAMは当時トム・ジョーンズやギルバート・オサリバンを抱える有力な会社だったので、クリムゾンに強気の金額提示したのでは」とご指摘をいただきました。 調べるとMAMは1970年当時最も成功した会社の一つだったようで、正式にはマネ-ジメント・エージェンシー・アンド・ミュージック・リミテッドという音楽代理店だったようです。レコードレーベルも所有し活動しましたが、後にRCAに吸収され、クリサリスに移され、現在カタログの所有権はEMIにあるようです。1970年はビッグビジネスに成長した音楽業界でミュージシャンを巻き込んだ訴訟が相次いだ時代でしたから、クリムゾンはこのややこしい権利関係に巻き込まれなかっただけある意味幸運だったかもしれないですね。 情報ありがとうございました。 余談:今回の調査でピーター・ストレイカーの次作1977年セカンドアルバムに、77年当時ゴードン・ハスケルとビーチェンパレスの地下レストランで一緒に歌っていたマイク・アリソンが楽曲提供しており、その音楽出版クレジットがシャドウズのブルース・ウェルチ音楽出版と判明。 そもそもハスケルとトリオを組んでいたマイク・アリソンが一緒に作ったデモテープをウェルチに持ち込んで採用され、77年(たぶん夏から秋)にハスケルがクリフ・リチャードのツアーでバック演奏をするきっかけとなったわけです。 映像は77年10月24日オランダ、ロッテルダム、デ・ドーレンというホールでの公演。 ストレイカーというとどうしても往年の特撮ドラマ「謎の円盤UFO」のストレイカー指令を思い浮かべちゃいました。だからどーした。な、なんでもありません。。。 ======== もうひとりのなり損ねたひと ======== 最初にクリムゾンのヴォーカルになり損ねた中にブライアン・フェリーの名も書きましたが、彼の場合はゴードン・ハスケル離脱後、つまりリザード後の内紛時の候補の一人でした。この時期クリムゾンは散々オーディションを行い、メンバーは有象無象の参加者相手に相当疲弊をしたそうですが、その候補には彼らの所属事務所EGの2代表の片割れ、ジョン・ゲイドンも含まれていたことについて以前少しだけ取り上げました。(ゲイドンと言えばクリムゾン、ELP、Tレックス、ロキシー・ニュージックを売り出した立役者でしたね。EGが業界に顔が利いたというのは彼の手腕も大きかったのでしょうね。) ジョン・ゲイドンがクリムゾンのマネージメント業に付く以前、60年代半ばにマイク・ダボらと共に組んでいたバンドが、ア・バンド・オブ・エンジェルスで、シングル盤も数枚出していたそうです。この時のジョン・クリスチャン・ゲイドンの担当はギターとヴォーカル。 中でも1964年、ジョン・アンダーソンやイアン・ウォーレスの「ウォリアーズ」も出演した音楽映画「Just for you」には彼らエンジェルスも出演していました。 Youtubeには1965年にゲイドンがギターを弾いてコーラスで唄ってた当時の映像がありました。 A Band of Angels - Not True As Yet (1965) John Christian Gaydon (vocals, rhythm guitar) 当時のゾンビーズっぽいイメージを感じる演奏ですが、やはりクリムゾンのフロントマンという感じでは無いのでしょう。彼の起用も却下されたわけですw 最後に、2012年にアップされたEG創始者ジョン・ゲイドン氏がキング・クリムゾンを語る動画です。 John Gaydon and EG Management sign their first kings EGからは70年代に離れてしまったゲイドン氏が話をしているのが興味深いですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Apr 1, 2015 09:00:13 PM
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