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テーマ:キングクリムゾン(655)
カテゴリ:キングクリムゾンメンバーズワーク
ウィリアムEことビル・キンバーのレコーディング・セッションに1967年に参加したゴードン・ハスケルらFleur De Lysのメンバー。ところがセッションを始めると用意された曲が下記動画リンクの一曲しかなく、さてどうしようとなった時にハスケルが「僕が書いたばかりの曲があるのだけど」とスタジオでLazy Lifeを披露し、めでたくシングルに採用。
そのきっかけとなったのがこのB面収録曲というわけですw William E- Crazy How Love Slips Away (Aug.1967) ゴードン・ハスケルのセッションワークとして見てもシャロン・タンディと並び初期の部類にあたると思います。 しかし、もしこの時曲のストックがなかったら、プロデューサーたちはどうするつもりだったんでしょうね? 今までもLazy Lifeについて幾度が書いてきましたが、再度紹介。 この翌年1968年、ビル・キンバーは西アフリカで自身のバンド、ザ・ゴンクスと共にLazy Lifeを再度録音。当地で大ヒット曲となりました。 Quentin E. Klopjaeger - Lazy Life 基本的なアレンジが英国録音と変わりません。少しテンポが速いでしょうか。 これが西アフリカで他のバンドにもカバーされてました。 The Outlet - Lazy life (1970) オーストラリアではHeart'n'Soulがカバーしコチラもヒット、大胆なオーケストレーションでムーディに仕上がっています。 Heart'n'Soul - Lazy Life (1969) こちらも以前書きましたが、70年代セカンドアルバムが成功せずバックバンド仕事に戻ったハスケルは、ある時泊まり先のコテージで60年代初期のロックアイドルだったビリー・ヒューリーが着てこの歌を唄ってくれた事があるそうです。この時期心臓疾患でヒューリーが入院したらしいのですが、その前後どちらかは判りません。83年に若くして心臓病で亡くなりましたが、晩年彼もLazy Lifeを録音しており、死後に出されたレコードに収録されました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Apr 1, 2015 11:36:27 PM
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