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テーマ:キングクリムゾン(655)
カテゴリ:キングクリムゾンメンバーズワーク
三年前に書いたアラン・バリーらのキング・ハリーにまつわるファミリーツリー。
つまり60年代のクリムゾンメンバーのバンド相関図ですが、ダラダラ手直しを繰り返したらヴァージョン15になりました。しかもKCはリザードまでしか書いてません。ここから少しでも進むと地獄なのでw タダでさえ毎回ややこしいのにどうもすみませんw(林家三平風) 一応今回横のバンド繋がりが判るよう大きくレイアウトを変更しました。 画像は今回もだいぶ大きいです。興味がありましたらダウンロードするなりして適当にご覧ください。(2015 5/14 ヴァージョン17に更新) jpeg形式(5,300px × 5,342px) http://livedoor.blogimg.jp/chop100-0000/imgs/0/1/01704d34.jpg flash形式(右クリックでメニューを出し、拡大縮小してご覧ください。) http://chop100.doorblog.jp/King%20Harry%20201505.swf アンディ・マカロックのジェイコブス・ラダーは依然詳細不明です。ほんと何か情報出てこないかな? 今回はハスケル氏に「60年代半ばフリップが抜けたバンドにジョン・ウェットンが入ったと書かれてるサイトがあるが」という質問に「ウェットンと初めて会ったのは70年だからありえないよ」という確認(苦笑)と、ウェットン氏にした「歳時記のロンドン録音は71年8月?」「たぶんそうだった様に思う」をちょこっと反映しました。非常に微妙な判る人にしか理解されない点ですけどw もちろん過去においてツイートで情報を頂いた方々、Kimmyさん、にゃん玉99さん他への感謝も忘れておりません。ありがとうございました。 まあこんなもんもあるんだ程度で楽しんでいただければ幸いです。制作はあくまで趣味の物ですので勝手ながら商用に無断使用するのだけはご勘弁ください。 ■4月11日修正。最初の頃からレイヴンズの項目をほとんどチェックしてなかったのもあり、ミスに今更気付きました。すみません。以前からハスケル氏のインタビューで最初のバンドは一年しかやってなかった事が明らかだったのに解散を63年にしたままでした。正しくは62年でした。 あとティノ・リチニオ氏はレイヴンズ立ち上げ時にはまだおらず、ドラマー交代時ドラムのファーガソンが連れてきたという事をフリップ師のインタビューで確認したのでコチラも修正しました。 ■5月2日フィールズのセカンド発売に対応しヴァージョン16に更新 ■5月14日、レイヴンズの最初のコンサートが61年9月1日で、まだドラムスが初代のワーレイだった為修正。 ティノ・リチニオをバンドに紹介したのは二代目ドラマー、ファーガソンであるというフリップ師の記述通りならば、9月1日のコンサートでまだ初代グラハム・ワーレイがドラムスで参加していたのは、7月にバンド結成し共に練習していたワーレイがそのまま最初のステージでは叩いていた、と解釈すればいいのかな? 何にせよ、ワーレイはじきに抜けてしまったと言われているので、最初で最後のワーレイのステージだったのかもしれません。 まさか21世紀になっても自身のバンド歴が悩みのタネになってるとはご本人も思わないでしょうw ※その後追記を繰り返したので、上記の画像リンクは現在切れています。 元記事からご覧ください。ややこしくなってしまい申し訳ございません。 King Harry - Divided We Stand (1977) http://plaza.rakuten.co.jp/chop100/diary/201205190000/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 10, 2015 03:46:56 PM
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