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テーマ:キングクリムゾン(655)
カテゴリ:キングクリムゾンメンバーズワーク
入手の難しいCDやレコードとなるとその理由の多くは、
1、古くても人気がある廃盤、コレクターが手放さないので市場に出ない 2、人気があるというほどでもないが、そもそも流通する枚数が少ない 3、自主プレス、テスト盤オンリー、ラジオ用など配布経路が特殊で限られてた などなど、いくつか理由があるものですよね。 このボズ・バレルがプロデュースまで手掛けたタム・ホワイトとの連名アルバム。これもどうも販売が当時まだ存在していたボズ・バレルのサイトで頒布されていたもののようです。しかしボズの死後サイトの閉鎖で入手経路が閉ざされたままでファン泣かせの一枚となってしまいました。 Tam White/Boz Burrell - the celtic groove connection (1999) なんかジャケットが薄汚れて見えますが、これ最初から印刷でワザとこうなっています。余りにリアルな汚れっぷりなので現物を少し離れたところから見ると「わー、なんだよ。CDがケースごと埃まみれじゃないか!」と事情を知らない人には不評を買いそうです。なんと迷惑なデザインでしょうw たぶんカーボンがこすれたりする感じを再現してるのでしょうけど、この商品じゃネットでさぞ売りにくかったんじゃないかと。既にボズも相棒のタムも共に鬼籍に入っているので、その時のファンの反応をうかがうことはもう叶いませんが。 せっかくですので、演奏者のクレジットを。 くどいようですが、この汚れた感じは最初からの印刷上のものです。ですので印刷面はクリーン。 全5曲で計26分ほどのミニアルバムですが、ボズとタムが晩年に活動した『セルティック・グルーヴ・コネクション』のこれが唯一作品。91年に出されたタム・ホワイト名義の作品よりタイトでシャープな演奏が、ボズの目指したジャズのスタイルなんでしょうね。届く前の予想はタム作品の延長と思っていたのでうれしい誤算でした。(まあタムの作品はあれはアレで味があって好きですが) プロデュースにボズの名もあるのですが、全体的にベースの音も大きくブリブリ鳴らしてくれてます。まあ結構ベースがランニングしてる事。 ボズの90年代のインタビューを読んでいたら、彼は本当に昔からジャズが大好きだったんですね。しかし、彼が音楽活動をはじめた1963年は、歌手のバックでアコースティックギターを弾くところからスタートし。その後歌手になってからもどちらかと言うと青春歌謡みたいなシングル盤を6枚出してました。 彼にとってはクリムゾンもバドカンも決して本意じゃなかったようですが。かといって毛嫌いしていたと言うほどでもなかったようです。彼の晩年インタビューがほとんど無い為、過去の活動に否定的なんじゃないかと考えてしまいがちでしたが、そういう訳でも無いようですね。 ただバッド・カンパニーのオリジナル再結成を放り出しても、残りの人生で待望だったジャズをやるのに執着したのは、長年やりたくても出来なかった事が実現する運びになったと言うのが大きいのでしょう。 バドカンとこのセルティック・グルーブ・コネクションを比較したという訳でも無いのでしょうけれど、もしこの時点でオリジナルのバドカンに固執していたら、自分の希望がいつまでも叶わなくなる。チャンスは今。そういう思いが時期的にこの制作背景にはあったのかもしれませんね。 ボズの急逝で私もこのCDを長い事探す羽目になりました。彼には何の罪も無いのですが、手に入らないアルバムに対し途方にくれていたわけです。スコットランドで制作されたこのアルバム。製造枚数はどうだったのでしょう?買ったのは当然コアなファンばかりでしょうけれど。ボズのサイトが無くなった今となっては、それももう判らない訳です。 ボズの熱心なファンの方なら発売当時既にお買い上げになった方もいらっしゃるかもしれませんね。もし「発売当時、ボズのサイトじゃこんな事が書かれていたよ」とかご存知の方がいらしたら、当方のツイートにでも御教授頂けます様よろしくお願いいたします。 最後に、 だいぶ前にも当ブログで紹介したセルティック・グルーブ・コネクションの演奏映像。晩年の貴重なボズの姿・・・見た目が激変しているのはともかくw 余談: 先日亡くなったイアン・マクレガンさんのボズ・ピープルにまつわる話を見つけたのでちょっとだけ意訳。 イアン・マクレガンがレコードも出していたミュールスキナーズを抜け、ボズ・ピープル入りしたのは、1965年6月。 加入後ボズから「ジャズを唄いたいから、ジャズコードを勉強してよ」と請われて習ったけど、楽しくなかったなとイアン。とはいえ、ミュールスキナーズよりはプロフェッショナルな印象をイアンはこのボズピープルで感じたそうで、米軍基地で3時間を越えるステージなどもこなしてた様だ。「ボズには少しいたずらっ子な面があったので、僕はもっと真面目にやって欲しかった。」 スコットランド巡業からノースロンドンに戻って来た金曜日に僕らはもう終わってた。 ボズは笑いながら「はは、俺たちはもうお終い。チクショー!なんだよこれ。もう出来ないよ。」 どうやらマクレガンの在籍期間はとても短かったようですね。シド・スミスさんの著作で語られている「機材が盗まれバンドが負債を背負い込んだ」というのは、どうもこのあたりなのかもしれませんね。 このあと、65年の11月頭には既にボズから離れていたようです。6月から精々10月あたりまでがイアン・マクレガンのボズ・ピープル在籍期間の可能性として高そうですね。年明けにボズが単身コロンビアレコーズとソロ契約するのには、まだまだ今からはうかがい知れぬ様々な事情があったようですね。 関連記事: Boz Burrellが60年代に在籍したTea Time Four等バンド活動について http://plaza.rakuten.co.jp/chop100/diary/201410020000/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Apr 19, 2015 04:00:19 AM
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