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カテゴリ:70’S
仕事から戻り、ぐったりして寝て起きたらキンキンの訃報。
愛川さんの元気な姿を見て育った世代としては、にわかに信じられない気持ちです。 声優としてDJとして親交深かった故・野沢那智さんが生前、「元々彼は二枚目で俳優としてエリートだった」と愛川さんの若き日を称していましたが、それでも60年代は俳優としてまだブレイクできずに、おはようこどもショーのロバ君役で着ぐるみに入り、今のふなっしーさながらのハイトーンボイスでキャラクターを演じたり。洋画やアニメ吹き替えでは、ジャック・レモンやスーパースリー、あと有名な物では「いなかっぺ大将」で主人公に指導する猫「ニャンコ先生」で陽気な印象を子供にも残しましたね。ハクション大魔王でのジングル的な存在「それからどうしたの?」の突っ込みおじさんも忘れられません。 そのキンキンが最初にテレビで若者向け情報番組でMCとして活躍したのが、フジテレビで1972年から放送された「リブ・ヤング!」。 そう、エマーソン・レイク・アンド・パーマー(1972年7月16日)やショッキング・ブルーなど海外ロックアーチストや国内のロックバンドも生出演した番組でした。愛川さんの横に座ったまだ若手タレントだったイガグリ頭の柴俊夫さんをその姿から「すずめ!」と愛称で呼んでましたね。 またTBSラジオでは深夜のパックインミュージックが人気番組に。毎回番組始まりにアドリブで今で言うラップまがいのおかしな「松葉節」を演りましたが、あのバックサウンドの軽快なパーカッションも元パーカッション奏者としての愛川さんの意外な一面でした。また、友人でもあった田宮二郎氏の死去に誰よりも悔し涙を流して惜しんだのもこの番組でしたね。 昼間のTBSラジオにそれ行け!歌謡曲で進出すると、久米宏や平野レミといったキャラバン隊が出張収録で活躍しましたね。一度声優仲間で最初の天才バカボンでパパを演じられた雨森雅司さんが「パパなのだ!」と生放送で飛び入り参加したこともありました。 11PMの司会になると、リブヤング!でも情報紹介役だった今野雄二氏を起用し、ブロンディなど当時の新進洋楽アーチスト出演や、時にはプログレ廃盤特集のような他では考えられない企画も放送されてました。 今現在テレビに多く存在するいわゆるグルメ番組も、彼の「探検レストラン」の大ヒットが深い影響を今日に残していると思います。 情報番組や歌番組、バラエティでもヒットを連発し、俳優としても多くの作品に出演。トラック野郎シリーズはあまりにも有名ですが、彼の初監督作品「さよならモロッコ」も忘れられません。またテレビで主演されたドラマ「東京メグレ警視シリーズ」でのダンディな演技も印象的に思い起こされます。 歌手としてはアニメ関連作品に多く歌声が残されていますが、ソロ歌手としては二枚のアルバムと他にもシングルを発表されており、シュールすぎるコミックソングから、愛川さん作詞の地味深い名曲も生んでいました。 死ね死ねブルース 愛川欽也 村はずれ その活躍の幅が余りに広く数多く、そして息の長い芸歴ゆえ、一度に彼の功績を思い出すのが難しいと思われる方もいらっしゃる事でしょう。多くの愉快な時間を与えてくれたキンキンに感謝すると共に、今一度その功績を称えたく、僭越ながら今回取り上げさせて頂きました。 お疲れ様でした。そして今までありがとうございました。ゆっくりとお休みください。 余談: 今から10年ほど前、2005年8月6日放送、アド街ック天国|谷中 エンディングでジャイルズ・ジャイルズ・アンド・フリップの「サースディ・モーニング」が掛かっていた。。。 と書いたのが10年前の私w イボンヌ・エリマン「愛の食事」での記述でした。 忘れていましたよ、読み返すまで。 http://plaza.rakuten.co.jp/chop100/diary/200508060002/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Apr 20, 2015 07:55:42 PM
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