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カテゴリ:キングクリムゾンメンバーズワーク
フィールズのCDライナーでシド・スミスさんは出来る限り当時の状況をグラハムから聞きだそうとしている為、その多くが当時のマネージメントの不条理さの説明でしめられております。
フィールズのグラハム・フィールドのサイトや2010年にでたフィールズの1stアルバムリマスター盤においてもフィールド自身がシド・スミス氏に語っていましたが、フィールズの悲劇は当時のレコード会社の体制変化が大きく影を落としていたそうです。 実際1971年年末フィールズがアルバムを発表した頃英国国内でのギグも若干あったそうですが、ノルウェー、スウェーデン、ドイツ、スペイン、オランダ、イタリア、ベルギーといった海外フェスティバルの出演を行い、アルバム売り上げの多くも欧州が主だったようです。 英国CBSのA&Rマン(今で言うプロデューサー陣)全員が解雇され、アメリカ本国から新しいマネージメントが乗り込んで来た際、彼らはプログレッシヴ・ロックには一切興味が無かったそうでバーズばかり注目していたそうです。デビューしたフィールズへのバックアップ体制もろくに取られてなかったのでしょうね。 アラン・バリーはもうこれ以上続けられないと言い残して脱退したと言う事ですから、1972年の年明け早々フィールズはデビューしてじきに危機的状況を迎えてしまったともいえます。 フィールズがレコードデビューした当時のインタビュー記事を以前紹介した時、アラン・バリーの発言が一言も乗っていなかったのも彼の脱退と何か関係しているのでしょうか。元々60年代末アンディとルームシェアする友人だったという事でバンドへ誘われたアランの発言は一切残されて無いだけに単にマネージメントの扱いだけで脱退したのかどうかは謎です。 グラハムはその頃スーパートランプにいたフランク・ファレルを勧誘しバンドの存続を図りました。資料によるとファレルがスーパートランプを抜けたのは72年2月とされているので、丁度フィールズへの移籍がこの頃だと推測できます。素晴らしいテナーヴォイスだったアランを失ったが、フランクは心地よい声を持ち合わせたと称しています。確かに繊細でナイーヴさを感じさせる歌声ですしね。 グラハム・フィールド自身はセカンドアルバムではじっくり制作に時間を掛けようと思っていたようですが、録音もほぼ終わり、さあこれから仕上げようと思ってる段階でCBSから棚上げと言われてしまったようです。実際は3年でアルバム三作の契約だったそうですが、契約段階のCBSマネージメントが全員解雇されてしまっていたので、非常に運の悪さを考えさせられます。 グラハムにしても前のバンド、レア・バードでも音楽以外のマネージメント問題で法外なプロモーション費用を要求されたり印税の支払いで揉めたりと、シンパシーの世界的なヒットの裏で相当嫌な思いをして、新たにフィールズを立ち上げたわけですから、そこでまたマネージメントに悩まされるとは何とも運が悪すぎる感じがしますし、気の毒というほかありません。 私たちファンは昔「何でいつまでも再発されないんだろう」とCDも出てなかった再発前には思っていたのですが、怒りと共にロックビジネスから離れたグラハムが何十年もの間、当時を振り返らずに来た思いを責めることなんてできませんね。 グラハムの子供たちが、彼に「なんでフィールズは続かなかったの?」と尋ねたのが、ネットでのファンとのやり取りや1stリマスターでの再評価も手伝い、セカンドアルバムの発掘に繋がったらしいのですが、40年以上も前のテープ音源について当初グラハムは「相当悪い状態になっているかも」と懸念していたようです。ところがアーカイブから発見された音源は状態も良く、3曲のデモ曲までもが発見と40年以上の長いときを経て、幸運にめぐり合えたわけです。 ホントこのまま埋もれたまま忘れ去られたり、廃棄処分されなくて良かったとファンの立場でも感じますね。 ちなみにこのセカンドアルバムは、ロンドンのバタシーから隣接する農村地帯バッキンガムシャー州アイバー村に住まいを移し、そこで初めて木を所有した際に受けた幻想的な感動からアイディアが生まれたそうです。既に作品を聞かれた方なら御存知のように冒頭のサイレンSEは都市部のイメージを表しているのでしょう。そこから徐々に平穏な田舎へと移って行く。まさにCDジャケットのイメージを基に作られた作品だったというわけです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 20, 2015 05:47:56 AM
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