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カテゴリ:プログレッシヴ・ロック
3月18日時点でリー・ジャクソン氏によるキースへの思いを取り上げた記事が出ていたのですね。以下毎度の意訳です。
英国北東部ニューカッスル、タインサイド出身のリー・ジャクソンは、1965年からTボーンズでキース・エマーソンと一緒に活動しはじめました。亡くなった親友のキースに敬意を払いながらリーは語りました。 リー・ジャクソンは今も12人編成のバンドで活動しています。(参考映像は2002年ジンジャー・ピッグ・バンドでベースを弾きながら唄うリー・ジャクソン。) 「キースの死を聞いてものすごいショックを受けたよ」9週間後のリーの結婚式にもキースは出席するはずだったそうです。 PPアーノルドにバックバンドを頼まれたキースは、Tボーンズが活動停止していたリーを新バンド結成に誘いました。リー「1965年に知り合って以来、僕は彼の親友だったし、彼の親友は僕だった。」その後ナイスに進化したバンドは、様々な場所で演奏をしました。 ピンクフロイドやジミ・ヘンドリクスなど当時の人気ミュージシャンとパッケージツアーで廻っていた1967年後半、ナイスは大ブレイクしました。一年後にはバーンスタインの曲「アメリカ」をヒットさせアメリカをツアーしました。 1969年にはニューカッスル芸術祭のためにエマーソンとジャクソンは招かれ、タイン川を渡る橋についての曲を作り上げたのです。組曲「5つの橋」では、リー・ジャクソンがタインブリッジをメインにセント・ジェームズ・パーク、ノーサンバーランド・ストリート、グレーストリートとハイレベル橋といった場所から歌詞を書き上げました。 (写真左から、エマーソン、デヴィソン、ジャクソン) そしてニューキャッスルシティホールでオーケストラとの共演で5つの橋を初演。 その後、ロンドン・シンフォニア・オーケストラを伴ってクロイドンのフェアフィールド・ホールでも演奏しました。 2002年のナイス再結成時にも、ニューカッスルでタイン劇場やオペラハウスをツアーで廻りました。(画像はナイス再結成時のジャクソン) リーは語る「本当に愛すべき奴でした。キーボード奏者として誰よりも優れ、ワイルドなステージングでしたが、ひとたび舞台を降りるとモノ静かで控えめな男でした。」「この北東部で演奏するのが我々はホントに好きでした。いつも受けが良かったからね。」 リーはエマーソンの追悼式に出席する予定。(記事が3/18日のため) 以上です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Apr 14, 2016 05:04:27 PM
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