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カテゴリ:プログレッシヴ・ロック
私を含め多くの方は、プログレッシヴ・ロックをまず思い浮かべることでしょう。しかしそのルーツを遡ると古くは1940年代辺りのバックビートが派生した頃、現代音楽や様々なルーツと大衆音楽、主にジャズが劇的に進化し始めた時から語られ始めたプログレッシヴ・ミュージックやプログレッシヴ・ジャズが源泉になっているようですね。1950年代に入るとジャズはより一層大衆文化と対比する方向へも分化し、一部の現代音楽家も実験要素の濃い作品を発表します。ジャズにおいては即興詩人のポエトリー・リーディングとの共演が行われ、この流れは1960年代半ばからは英国における前衛的なロックとの融合にも深く影響を及ぼしました。
ロックが広く愛好されるようになる1960年代に入ると大衆向け音楽と反するようにプログレッシヴ・ポップまで誕生しますが、こういった物のイベントには時の有名ミュージシャンが顔を出したり、相互作用が生まれ、ビートルズが中期以降次第に実験要素を多用しだす流れにもなっていったようです。それまでのロックの世界にブルース要素やクラシックやアートの要素など他ジャンルのエッセンスが持ち込まれその垣根を崩し、それぞれのバンドが独自の新しい地平を目指すようになると、サイケデリック・ムーブメントと相乗し、プログレッシヴ・ロックが60年代後期に次第に花開いていくこととなりました。 チャート向け音楽が流行れば流行る分だけ、大衆音楽と真逆の方向へも音楽のすそ野は無限に広がっていったともいえるのでしょう。60年代中期、フリーインプロヴァイゼイションの前衛的なライブで話題となったAMMが衝撃的なデビューを遂げると真っ先にポール・マッカートニーが会場に現れて熱心に見つめていたという事もあったそうです(ポール本人は「見ていて退屈だった」とインタビューに答えてましたがw)。 画像は当時のAMM こういう混沌の数々が後に多くの芸術性を持った作品が生まれていく素地になっていたのでしょうね。ジャイルズ兄弟が1967年にそれまで続けていたビートバンド路線を諦めたのも、ジャズやアートロックの分野の時代の流れに取り残されていく自分たちへの危機感が背景にありました。 当初はチャートの反対勢力としてマイナーな話題にしかならなかったプログレッシヴ・ミュージックも60年代後半にその渦が大きくなると、ロック界のだれもが無視できない程の大きな潮流になっていったと言えるんでしょうね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Nov 25, 2018 12:10:30 AM
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