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テーマ:ゴードン・ハスケル(164)
カテゴリ:キングクリムゾンメンバーズワーク
亡くなったゴードン・ハスケルがバンド活動を始めたのは1961年のロバート・フリップらとのレイヴンズでしたが、その系統のザ・リーグ・オブ・ジェントルメンが1965年夏、フリップが学業のために脱退し、メンバー補充のかいもなく秋には解散してしまいました。ハスケルは病院で働いてた母の願いで、正業に就くために警察に就職しますが、3日と持たずに辞めてしまいました。
その後、かってジャイルズ兄弟もバックバンドにいた「ダウランズ」にツアーメンバーとして加入しロードに出ていた際、見に来ていた観客から「The Fleur De Lysからベースが抜けてメンバー探してるよ」と聞き、すぐに出向き後釜の座を得ました。1965年の年末のことだったそうです。 左からハスケル、ドラムのキース・ガスター、女性二人、オルガンのアレックス・チェンバレン、ギターのフランク・スミス。 66年春にはフラーデリーズ(以後FDLと称す)のセカンドシングル「サークル」で、ハスケルはレコードデビューを果たしました。FDLはメンバーチェンジの激しいバンドで、オリジナルのギタリストだったフランク・スミスが脱退するとメンバーが再補充され5人編成となりました。 66年初夏、左からハスケル、エレピのピート・シアーズ、Voのクリス・アンドリュース、ギターのフィル・ソウヤー、ドラムスのキース・ガスター。 その後、バンドはシアーズの解雇や ソウヤーのショットガン・エクスプレスへの移籍、ブリン・ハースの加入、クリスのルパート・ピープルへの移籍とメンバーの入れ替わりが進み、トリオ編成になってしまいました。 この頃からアトランティック欧州代表のフランク・フェンターの子飼いバンドとして多くのデモやセッションワークに駆り出されるようになります。またフェンターの元妻シャロン・タンディのバックバンドも行うようになりました。ハスケルや元メンバーたちはこのトリオ時代が一番バンドとしてよかった時期だったと証言していました。 当時のフランスのTV映像 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 21, 2020 08:31:02 PM
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