カテゴリ:信仰・教会
最近、こんな話を聞きました。「神様って言うけど、
神様が私を具体的に何か助けてくれるわけじゃない。 結局問題は自分で解決しなきゃならないんだ」 ちょっと待って。神様が私たちを助けてくれるって 何だろう。昔話に靴屋さんが眠っている間に小人が 靴を作ってくれていたって話があるけれど、神様の助けって、僕らが寝ている間に、ぜ~んぶ僕らの都合のいいよう にとりはからってくれることじゃ、ないんじゃないかな? もちろん、奇跡っていうのは確かにあるし、奇跡が僕らに 必要なことも、必要な時もあるけれど、ほんとうの神様の 助けっていうのは、僕らの状況を僕らに都合のいいように 変えることじゃなくてどんな状況の中でも「神様と共にある」という信仰によって強くしてもらって、人から見たら「なんて気の毒な」という中でも「つらいけど、できれば この状況が変わってほしいけど、でも今神様が共にいてく れて、この状況の中でも力を与えてくださって感謝です」 って言えるような心にされることだと思います。 「いいことないよね~」って言う人多いけど、「(自分 に都合の)いいことないよね~」が多いんじゃないかな。 そうじゃなくて、どんな中でも、希望が持てる、前向きに なれる、そんな勇気と力が与えられること、その方がずっ とすばらしいんじゃないだろうか。それが信仰生活のダイ ナミック(ダイナミックの語源はダイナマイトと同じ、つ まり爆発的な力)さじゃないかなと思います。 かくゆうボクにも「なんとかしてよ~ドラえもん」てな 時もいっぱいあるけど、でも、小人さんより、ドラえもん より、神様が一緒にいてくれることのほうが、ずっとずっ とよかったね。 そんな、神様と共にいることの確かさ、楽しさ、教会の 人たちにももっともっと、そして、まだ神様を知らない人 たちにも少しでも伝わるように・・・と願っていますが、 ああ、なんとかしてよ~、ドラ・・・じゃなくて、こび・・・じゃなくて神様~! かくして牧師の祈りはつきないのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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