カテゴリ:信仰・教会
昨日に続いての嵐シリーズ(?)
妻がある方をお訪ねした。いっしょにお祈りをしてきた。 夜、その方から電話があった。 「来ていただくのはいいんですが、負担になるので・・・」 妻にそのことを告げた後、どうにも心が晴れない。 その方の事情もよくわかっているし、その苦しみも わかっているつもりではあるが、それでも 「勝手なこと言うな、自分の都合ばかりでこちらを 振り回すな!」と叫びたくなってしまう。 そういうことにわたし以上に敏感な妻の心も よくわかって、心が痛む。 でも・・・、それでも・・・、 その方の心の苦しみ、痛みがやわらいでほしいと 祈る。牧師だから、とカッコつけてるのではなく、 一人の友として、その方に神様の慰めが ありますように、と祈る。 そして、自分の心の嵐が静まりますように と祈る。祈りながら、主イエス様の十字架の痛み を思う。なんという、なんという、痛みだったのだろう。 こんなちっぽけな傷以上の痛み、それをご自分から 受けてくださったイエス様。 祈りつつ、言葉にしていくうちに、少し嵐も 静まってきたようだ。 人を愛することの難しさ、そして、その愛を 実践することを教えてくださり、実践できるように してくださった、主イエス様のすばらしさ。 「愛は、すべてを完成させるきずなです。」 (新約聖書:コロサイの信徒への手紙 3章14節) 牧師だって悩んで、つぶやいて、つまずいて、転んで ・・・そしてまた起き上がるんですぞ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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