カテゴリ:信仰・教会
まじめなクリスチャンであればあるほど
こう思うことがある。 普通に考えればとうてい聞かれそうにないことを 「信じます」と祈る。 自分でも正直半信半疑なのに、 「信じます」なんて偽善じゃないか、 あるいは気休めにすぎないのじゃないか、 そう思うことがある。 重い病気にかかり、末期を迎えている方がおられて、 「あの方の病気を癒してください」 こういう祈りがはたしていいのかどうか、 迷っていた時があった。 そんな時、恩師がこう言われた。 「神様にとって不可能はありません。 癒すことはおできになります。 ただ、実際に癒されるかどうかについては 神様ご自身がお決めになることです。 癒して下さらなかったとしたら、それは神様が 癒せなかったのではなくて、神様が癒さないという 最終決断をされたからなのです。 わたしたちは神様が最終的な答えを出されるまで 癒しを信じて祈ればいいんです。 そしてそれでも神様が癒してくださらなかったと したならば、その時はわからなくても、 それが最善なのだと神様の答えを受けとめれば いいのです。」 この言葉を聞いてから、祈りに迷いがなくなった。 神様の答えがどうであれ、それがはっきりわかるまでは 自分の願ったとおり信じて祈ればいい。 そしてもし、自分が祈ったとおりに ならなかったとしても、 それがこの祈りへの神様の答えだと受けとめればいい。 大事なのは神様の答えが最善だと信じること。 それさえしっかりしていれば 願ったとおりになっても、ならなくても感謝。 (なればやっぱり一番うれしいけどね。 (^_-)-☆) もうすぐ初詣のシーズン。 でもわたしたちは初詣だけではない。 いつでもずっと、わたしたちの祈りを聞き、 一番よいことをしてくださるお方に祈ることができる。 こんな祈りっていいの? いいんです!!! 「わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、 はるかに超えてかなえることのおできになる方に、 教会により、また、キリスト・イエスによって、 栄光が世々限りなくありますように。アーメン」 (新約聖書 エフェソの信徒への手紙 3章20~21節) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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