カテゴリ:家族
父を送って一週間たった。
父という人は、どんな人だったか。 一言で言って「平和を実現する人」だったと思う。 父を知る人の父への印象は「いつもおだやかに微笑んでいる人」 というのが多い。 そしてその笑顔の下で、父はいつも、周りの人を生かすため 懸命に生きてきた。 牧師の家に生まれ、学費はもちろん、家計の助け、 そして幼い弟の学費のためにアルバイトをした。 建築家になりたかった夢を「早く稼げるようになるため」にあきらめて 小学校の教員に。けれど、それは父自身が思ってもいなかった天職だった。 だから父は言っていた。「この仕事に向いているかいないかなんて やってみなけりゃわからない。とにかくやってみることだ。」 一人息子が牧師になることを決心した時、父は反対した。 牧師の家に育った者ゆえの心配だった。 「自分のような苦労を息子や、 将来生まれてくるだろう孫たちにさせたくない」 しかし息子は牧師になった。しかも、祖父と同じように、 教会をゼロから生み出す働きをはじめた。 そんな息子を父は黙って、ずっと助けてくれていた。息子とその妻、 2人の孫たちをただ黙って助けてくれていた。 あんまり、父をあてにしすぎたかもしれない。 息子にだけではなく、多くの人たちにず~っとあてにされ続けてきた父を 神様は 「もういいから、ゆっくりお休み」とお連れなさったのだろう。 父は夜半過ぎに倒れた。その瞬間、何を思ったのだろう。 「ああ、あれもできなくなっちゃった、これもできなくなっちゃった・・・ しょうがねえなあ~」なんて思ったのではないだろうか。 最後まで周りの人たちのことを思いながら眠りについたのではないだろうか。 「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」 ちゅにむもまた、父のように、おだやかに、黙って「平和を実現する人」 になりたい。まあ、父と違って激しい性格のちゅにむには、難しい話だが。 一週間前、夜の前夜式(一般的にいうお通夜)まで少し時間があった。 ちゅにむは実家の近くの公園に、退屈していた子供たちを連れて行った。 公園で子供たちと駆け回りながら、ふと考えた。 教会の仕事、アルバイト、エトセトラ・・・月月火水木金金で、 ゆっくりこんな風に子供たちと遊ぶことが、ほんとになかった。 同じ屋根の下にいても、なかなか遊んでやれなかった。 「こんな風にこの子達と遊べる時間、最後にプレゼントしてくれたのかな?」 最後に見た父の顔は、とてもとてもおだやかな顔だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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