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カテゴリ:その他
いつも飲んでる主人いつもは陽気になるだけなんだけど
たまに悪酔いをする これが辛くて悲しい事になるのだ 「普通の一般の母親像ってあるだろ?ご飯を作るという お前はそうじゃないだろ。」 という言葉が突き刺さった 妹が亡くなって3年 母が死んでちょうど1年の今日 母が死んでからご飯がつくれなくなって1年 最近「サラダ作ってみようかなぁ」と思ってた所だったので 余計に悲しくて涙が止まらなくなって落ち着こうと薬を飲んでみた もともと料理が大好きで得意だったけど 買い物に行ってもどうしていいか分からず そのまま帰る日が続いて惣菜が多くなって主人が作るようになった ひなが心配して寄り添ってきたので「ごめんな こんなママで」 ママは勉強より新体操より 人の痛みが分かる子になってほしいと思って 強くひなに言ってきたんだ 人にやさしくするのは誰でも出来る でも痛みを分かろうとしたり、分かってあげたりする事が大事だって思う 人を傷つける事を言うような子にはなってほしくないって思って育ててきた でもひなは勉強も新体操も学校生活も全部を頑張って、でもちゃんと人の気持ちを考えてる ママは今のひなに何も言うことはないんだ そんな良い子ちゃんしなくていい ママはまず病気を治す事がひなと涼太の為だと思ってる、今のママに何か治して 欲しい事があったら、ちゃんと言ってみてと聞きました。 でもひなはやさしいからか ひなは良い子ちゃんをしてない 普通に生活してる 病気が治って料理出来るようになっても雑貨とか工作しなくなるんだったら 今のママが変わって欲しくないと涙を流した 今のママがいいと 私は主人に一番病気を理解してほしい とこの3年思っていました。でも主人は大人でやっぱり理解してもらえない。 と寂しいと思っていました。 妹が居なくて寂しい お母さんが居なくて寂しい 二人に会いたい 主人が理解してくれないのが寂しい でもひなが居てくれたら私は主人がいなくても、良くなるかもしれないと思いました。 家族に理解してもらえないと治らない病気だけど涼太はまだ手がかかって大変だけど ひなが居てくれるから生きないといけないと思った。 主人の言葉で死んでしまいたいと思ったけど 子供の為にこんな私でも生きないと と思いました そして妹の残してくれた中2の甥と中1の姪の支えにならないと 生きるんだと強く思った 母の1周忌でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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