ローレライ
「軍医長、これ読んだことあるか?」「お、“罪と罰”ですか。ええ、学生時代にね。」「主人公のラスコーリニコフは自分が殺したのは、老婆ではなくて自分自身だと叫ぶ。なぜだろうね。」「そりゃ神様殺しでしょうな。」「神様殺し?」「ええ、隣人を殺すなかれというキリスト教の訓戒を破ることで、自分の中の神様を殺したってことでしょう。」「自分の中の神を?」「それは同時に自分を殺すことでもある。」この作品の評価はおそらく賛否両論、真二つに分かれることだろう。もともと特撮モノが好きだったり、エンディング・ロールのそうそうたるクレジットを見て狂喜する者もいれば、冷静に客観的に捉えて酷評を下す者もいるのではなかろうか。しかし映画というものは、そうやって視聴者のフィルターを通して笑いや涙を生み出して行くメタファーなので、両者どちらの評価にも優劣はない。「ローレライ」は第二次世界大戦をモチーフにはしているものの、戦争の残酷さや悲惨さを全面に打ち出しているものではないため、戦争コードの作品とは一線を画している。そのため、どちらかと言うとファンタジー的要素が強いと言える。第二次世界大戦下、広島に世界で初めて原爆が投下され、いよいよ日本の敗色が濃厚になった。最後の砦として出動することになったのは、ナチス・ドイツからの譲渡潜水艦である「伊五○七」(ローレライ・システム搭載)であった。海軍軍令部の浅倉大佐の命令により、絹見少佐が艦長に任命され、テニアン島への奇襲攻撃を決行する。そんな中、本土では長崎にも第二段の原爆が投下される。そして恐るべきことに第三の標的は、首都である東京に原爆が落とされようとしていた。 絹見艦長以下乗員たちは、原爆搭載機撃墜のために命をかけて戦う。原作を読んでいないせいか、映画の世界観を理解するのに人より時間がかかってしまったかもしれない。ポイントは、特殊能力を持つ少女パウラこそが「ローレライ・システム」の中枢であるということ。パウラは“水と同じ液体である血液を介して記憶を読む”という特殊能力を備えていたのだ。この辺りの超人的行為を、視聴者がどう受け止めるかにより、映画全体の趣が変わるのではなかろうか。ちなみに自分は、パウラがたくさんのチューブにつながれた状態を目にした時、ある種のシュールレアリズムを感じた。アニメーションではありがちな一コマでも、実写の中で目の当たりにした時、やはり冷静にならざるを得なかった。さらに気になる点として、当初艦長は「一人も死なせない」と生きることへの想いを熱く語っていたにもかかわらず、終盤を迎えるころには半ば死にゆく覚悟を強要するムードが漂っていた。この辺りは脚本の弱さだろうか、それとも意識的な演出によるものだろうか。いずれにしろこの作品で注目すべきは、「死」の扱い方という点ではなかろうか。2005年公開【監督】樋口真嗣【出演】役所広司、妻夫木聡また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)