アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン
「人類の苦痛はまさに驚異だ・・・そう、これこそが世界一美しいのだ。・・・ゴルゴタの丘、そこに至高の木が立つ。十字架だ。そして至高の肉体、それは・・・裸で生気がない。肉体の完成には人類の苦痛が必要だった。ここでやっと俺は成し遂げた。“キリストの受難”の完成だ」参考のため、聖書中から引用した“恐れ”に関する節をほんの一部ご紹介しておく。それは、下記の通りだ。『だから、わたしたちは、はばからずに言おう。主はわたしの助け主である。わたしには恐れはない。人は、わたしに何ができようか』(ヘブライ人への手紙 13章5、6節より)本作「アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン」はフランス映画であるが、キムタクやイ・ビョンホンらが出演していることもあり話題になった。内容は聖書中のキリストの受難、あるいは人間の誰もが抱えている恐れについて、実に哲学的なところから切り込んでいる。この作品を観るにあたって、やはりどうしても聖書の内容を知っているのと知らないのとでは感じ方が変わって来るのも否めない。まず、仮にキムタクの立場を主イエスと置くと、ジョシュ・ハートネットは差し当たり神から使わされた大天使ミカエルあたりか、そしてイ・ビョンホンは俗人、つまり罪深き人間の代表格とも捉えられる。しかし、ジョシュ・ハートネットの立場は非常に複雑で、捉えどころがなく、あるいはユダヤ教からキリスト教に回心したパウロに相当するかもしれない。いずれにしても観念的、抽象的、その背景に宗教・哲学の影が見え隠れし、吟遊映人も下手な感想をさらしてしまうことになりそうだ。元刑事クラインは、2年前に猟奇連続殺人事件にかかわり、精神病院へと収容される。 そのため、現在はしがない探偵を営み生活している。ある時、大手製薬会社の大富豪から行方不明になっている息子のシタオを見つけ、連れ帰って欲しいという依頼が舞い込む。だが最後の目撃情報によれば、シタオはフィリピンのミンダナオで殺害されたとのことだった。その後、シタオは香港で生存しているらしいという情報をつかみ、刑事時代の旧友であるジョー・メンジーに協力を要請する。本作のメガホンを取った監督の名前を、どこかで聞いたことがあるとずっと考えていて、思い出した。そう、本年公開された「ノルウェイの森」の監督である。「ノルウェイの森」と言えば、今や押しも押されもしない村上春樹氏の代表的作品であるが、ずっと映画化を拒んで来たという経緯のある小説なのだ。なにしろ日本人監督による映画化を絶対的に拒否し、出版からすでに20年以上が過ぎて、しかもフランス人監督によるオファーは快諾したというわけだ。だがそれも肯ける。トラン・アン・ユン監督の華々しいキャリアを見たら、否とは言えまい。まず、「青いパパイヤの香り」がカンヌ映画祭にて新人賞を、その後、「シクロ」がヴェネツィア映画祭においてグランプリを受賞しているのだから。「ノルウェイの森」では、松山ケンイチと菊地凛子が出演しているが、これは一見の価値がありそうだ。(ちなみに吟遊映人はまだ未見)話をもとに戻そう。そんなトラン・アン・ユン監督による本作「アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン」は、シュールレアリズムの中にしばしば垣間見える、虚構を超えた真実を探るというテーマを感じる。だが、これはあくまで吟遊映人の感想である。さて、皆さんはどのような感想を持たれるのでしょうか?2009年公開【監督】トラン・アン・ユン【出演】ジョシュ・ハートネット、木村拓哉、イ・ビョンホンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)