チェイシング/追跡
「妻いわく、人には2種類ある。快楽を求める者と、痛みから逃れる者・・・その通りかもしれない。ただ私は確信している。快楽は記憶を消し去るが、痛みは・・・希望を抱かせる」本作は日本において劇場未公開であることや、雰囲気的にも地味めであることなどから、いわゆるB級モノなんだろうと思われる。クレジットでは一応主役のラッセル・クロウも実際は特別出演的で、本来の主役は若い男女の役者さん二人が物語の軸になっている。だがこの作品、なかなかどうしてコアなサスペンス好きを唸らせる、凄いストーリー展開だ。英語のタイトルは“Tenderness”で、敏感とか扱いにくさ、の意である。つまり、多感な思春期のとんがった部分を観念的に表現しているのだろう。少年エリックの特殊なフェティシズム。それはヒスパニック系の女性に異常な興奮を覚え、殺人と暴行に快楽を求めるものだ。 そういう精神異常を母親に悟られてしまった時、エリックの行動はもはや常軌を逸していた。一方、母子家庭に育った少女ローリは、母親の恋人から性的いたずらを受け、その事実を母親にも言えず、孤独に耐えながらも自虐的な日々を送っていた。そんな若い二人の異なる性質がぶつかりあった時、果たしてベクトルはどういう方向へ向かうのか。それが本作のテーマであろう。舞台はニューヨーク市の郊外。テレビでは、両親殺しの少年エリックが釈放された報道で持ちきりだった。というのも、エリックは血液検査の結果、抗うつ剤を服用していたことが分かり、情状酌量となったのだ。一方、母親とその恋人の男と暮らす16歳の少女ローリは、もう何もかもがイヤだった。 自分を変えたい、それが叶わないのならいっそ消えてなくなってしまいたいと思っていた。そんな中、ローリは山中で偶然見かけてしまった殺人現場のエリックの犯行を忘れることができず、こつこつと新聞の切り抜きなどをスクラップしていた。そして、エリックが出所の日を待ちに待っていたのだ。いろいろな見方があると思うが、単なる16歳の少女ローリの自殺願望なんかではない。 誰かに必要とされ、愛されたくて仕方のない少女が、殺人鬼エリックの手により殺害されることで、自分の存在価値を確かめたいのだ。だがエリックはローリなどは鼻にも掛けない。自分の快楽の対象ではないからだ。この辺りから少女ローリの複雑な心理が視聴者を驚かせ、混乱させる。本作は、もしかしたら思春期の若者の扱いにくさをテーマにしたかっただけなのかもしれない。だがそれさえも深く陰鬱で、青春の蹉跌に苦悩する人間の赤裸々な姿に絶句を禁じえないのだ。賛否両論ある作品であろう。2008年(米)公開 ※日本では劇場未公開【監督】ジョン・ボルソン【出演】ラッセル・クロウ、ジョン・フォスター、ソフィー・トラウブまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)