英知、逝く
評論家の吉田秀和先生がお亡くなりになられました。享年98歳、なされるべきことはすべてなされた先生の逝去は、まさに大往生というにふさわしいのかもしれませんが、それでも先生の薫陶を受けた者としては誠に寂しい限りで、なにより日本国が英知の柱を失ってしなったような気がして、おおいなる喪失感を禁じえないのです。今はただ先生のご冥福を心よりお祈りするばかりです、合掌。思えば吟遊映人がこよなくバッハを愛するようになったのは、先生の著書を味読してからです。そして行き着いたところがグレン・グールド。今日は55年のモノラル録音を聴きながら、終日、先生の著作に浸りたいと思います。※先生の各評です。今更ながら、先生の表現は優雅で格調高く何より的確であると痛感しました。「宇宙的なハーモニーのやさしさに満ちた気高さと美しさ」・・ギュンター・ヴァント「天才の純潔とでも呼ぶほかない」・・ピアニスト、グレン・グールド「比類のない鍵盤上の魔術師」・・ウラジーミル・ホロビッツなおホロビッツの評に関して、29日付産経新聞(産経抄)に詳細がありましたので、そのままあげさせていただきます。【産経抄】5月29日 昭和58(1983)年に、今世紀最高のピアニストといわれたウラジーミル・ホロビッツの初来日が決まると、クラシック界は上を下への大騒ぎとなる。5万円という史上最高値の入場券はあっという間に売り切れてしまった。 ▼78歳の巨匠は、グランドピアノ3台を空輸し、料理人や医師、調律師とともに意気揚々と乗り込んだ。ただ肝心の演奏は、「素人耳」にもミスタッチが目立つ散々の出来だった。「ひびの入った骨董(こっとう)品」。音楽評論家の吉田秀和さんが、テレビ中継で述べた感想に、多くの人が共鳴する。 ▼あまりに的確な批評は、ホロビッツの耳にも入ったらしい。酒や睡眠薬をやめ、心身ともに健康を取り戻して、3年後に再来日を果たす。「霊妙なアロマ(芳香)」。汚名返上の演奏に、吉田さんは最大限の賛辞を贈った。なぜかこちらは、話題にならなかったが。 ▼戦前では珍しいピアノのある家で育った。母親に習って、バッハやモーツァルトを弾いて遊んだものだ。同時に、「どうしてベートーベンはこんな旋律を作ったのだろう」などと考える子供だった。 ▼9年前にドイツ生まれの妻、バルバラさんを亡くし、50年以上続いてきた執筆を一時中断した。しかし、悲しみを乗り越える力をくれたのも音楽だった。90歳を超えてから取り組んだテーマが、詩と音楽のかかわりだ。 ▼「中原中也にフランス語の手ほどきをしてもらった」。天才詩人との交流から書き起こしたエッセー集『永遠の故郷』(集英社)は、昨年4部作で完結した。独り暮らしの自宅で亡くなったのは、編集者に原稿を手渡した翌日だったという。98歳の現役の音楽評論家には、どこを探してもひびなど見当たらなかった。