読書案内No.88 佐伯一麦/『鉄塔家族』上・下 虚構をまじえない写実的な小説
【佐伯一麦/『鉄塔家族』上・下】◆虚構をまじえない写実的な小説佐伯一麦の小説は大好きで、初期の『木を接ぐ』や『ショート・サーキット』などからずっと愛読している。佐伯一麦の書くものはほとんどが事実で、いわゆる私小説というカテゴリに入るものだ。だから私のように初期のころからずっと“追っかけ”ている読者は、著者のプライベートな日常生活まで覗き見ている錯覚さえして、他人事とは思えない。なんだか身内の近況をあれこれ報告してもらっているような心地になるのだから不思議だ。というのも、著者は若くして結婚し、次々と子どもが生まれ3人の子持ちとなったのだが、作家となる前までは電気工として働き、生活の糧を得ていた。作中(初期の作品)、奥さんという存在はごく普通に登場するし、佐伯の筆致に何ら悪意は感じないけれど、一読者として言わせてもらえるなら「早く別れた方がいい」と、ずっと思っていた。ところがこの『鉄塔家族』や『ノルゲ』を読むと、その妻とは戸籍上でも別れ、新しい妻を迎えて平凡な幸せを手にしたことが分かる。というのも、最初の結婚はあまりに妻がエキセントリック過ぎた。あれでは男の方で心の安らぎが得られまい。来る日も来る日も働き蜂のように工事現場に出向くのみで、喘息の発作に見舞われても体を休めることが出来ないのだ。病院に行きたくても、「これしきのことで」と納得しない鬼のような嫁だ。一方、再婚した新しい妻は、染色家として工房を持ち、細々と個展などを開いて生計を立てている。佐伯にとっても自然の草木を相手に取り組んでいる、素朴で屈託のない妻が、心のよりどころとなっているのがよく分かる。話はこうだ。東北のとある山村に住む斎木は、近くに新しいテレビ塔が建設されることを耳にした。 斎木は5階建ての分譲の集合住宅に、妻の奈穂と二人で住んでいるのだが、その工事の風景がことさらよく見えた。学生用ワンルームマンションの一階に、四季亭という小さな食堂があるのだが、付近にコンビニやラーメン屋などがないことで、工事現場の作業員がこぞって利用した。自販機は補充が追いつかないほどで、売店のおねえさんはくるくると働いた。時折、現場監督の威勢の良い声が斎木のところや売店のおねえさんのところまで聴こえて来た。斎木は今でこそ平凡だがささやかな幸せを手に入れた。染色家の妻・奈穂と共に四季折々の草花や野鳥に親しみ、自身も精力的に執筆活動を続けている。だが別れた妻と住む子ども3人の養育費と、彼女たちの住む家のローンもいまだに払い続けているため、経済的にはかなり奈穂にも負担をかけていた。実は、斎木は、奈穂と結婚する前に自殺騒動を起こしていたのだ。というより、本人も酩酊していたため、どこまで本気だったかは分からない。だが独り住んでいたアパートで、大量の睡眠薬を飲み散らかし、別れた妻と子どもたち、それに奈穂宛の遺書を書き残したのだ。来る日も来る日も自分が住むでもない、妻子に残して来た家のローンと養育費に追われる日々に嫌気がさしていた。もう身も心もくたくたに疲れきっていた。そんな時、深夜斎木からかかって来た一本の電話に不審を抱いた奈穂が、ムシの知らせで山一つ越えて、斎木のアパートにまで駆けつけたのだ。こうして斎木は発見者の奈穂の通報により、一命を取り留めた・・・という複雑な経緯の末に結ばれ、現在ののどかな田舎暮らしに落ち着いた斎木であった。『鉄塔家族』は、テレビ塔の建設と同時進行しながら、主人公・斎木や斎木を取り巻く周囲の人々の苦悩や背景を、それはそれは丁寧な筆致で綴っている。ドラマチックなストーリー展開や大きなクライマックスもない代わりに、ほのぼのとした優しさや明るさが感じられ、とても好感が持てる。唯一、読者に激しい衝撃を与えるところがあるのは、やはり、主人公・斎木が幼児期に受けた性的暴行の告白シーンではなかろうか。無論、フィクションではない。佐伯一麦自身の年譜に、「幼児期に未成年者に性的暴行を受ける」とあるように、事実である。一切の虚構をまじえず、写実的に描かれた著者の赤裸々な小説は、ほとんど芸術の域にまで達している。また、作家になる前まではずっと電気工事士として働いていた経験の持ち主でもあるため、労働者に対する眼差しが優しい。私は、真摯で対象に中立な佐伯一麦の私小説が大好きだ。今後も持病の喘息と上手に付き合いながら、実相をさらけ出した作品を発表していただきたい。『鉄塔家族』上・下 佐伯一麦・著 〔大佛次郎賞受賞作品〕☆次回(読書案内No.89)は司馬遼太郎の「『国盗り物語』第一巻 斎藤道三 前編」を予定しています。コチラ