読書案内No.144 海音寺潮五郎/天と地と(下) 隣国の強は国の衰ふるなり
【海音寺潮五郎/天と地と(下)】◆隣国の強は国の衰ふるなり人生とは闘いである。戦国を生きる武将なら、皆が領土拡張に心血を注いだ。なぜなら、敵が強大になることを防ぐためであるからだ。古い中国のことわざに、「隣国の強は国の衰ふるなり」というのがある。(※『天と地と(下)』より参照)つまり、敵が巨大化するのを指をくわえて見ていたら、自分の免疫が侵され弱体化するということだ。 例外なく景虎も戦うしかない。駿河に向かって野心を募らせる武田信玄、小田原北条氏の横暴、全てが景虎にとって因縁であり脅威であった。そんな中、景虎は関東管領に就任し、上杉の家督も譲られ、上杉政虎と改名する。だが宿命のライバル武田信玄との決戦は、避けられるものではなかった。 『天と地と(下)』では、何と言っても川中島の決戦が山場となっている。読者はこの一戦を楽しみたくて、一心にページをめくるのだが、その決戦に近づくとにわかに怖気づく。この名勝負の後に何が残るのか?死にもの狂いで雌雄を決するこの兵どもの夢のあとに、果たして希望はあるのか?一瞬にして歴史の残骸に打ちのめされ、現実に引き戻される自分がいる。 政虎はいつも神仏とともにあった。つまらない小細工などせず、正々堂々と戦うことを潔しとした。そこに卑怯な策は用いず、刻々と変化する戦況に身を委ねるのだった。一方、武田信玄は政虎と対極にある人だった。綿密な打ち合せのもとに事を運ばねば、落ち着かなかった。細部に渡って戦術を練り上げ、実行する。信玄の兵法は隙がなく、限りなく完璧を求めた。だから政虎が妻女山に陣を置いた時、信玄にはその作戦の意図が分からなかった。妻女山なんかに陣を張れば、袋の中のねずみに等しい。兵法者としては、あるまじき行為だったからだ。信玄は考えに考えた一体なぜ妻女山に?崖の上に立って、妻女山を望んだ。下界には霧がこめ、妻女山にも薄くかかっている。そこで信玄はハタと後悔する。 「おれとしたことが、何ということをしてしまったろう。やつを死地に追い込んだつもりでいたが、おれこそ死地に引きずりこまれる寸前に立っている。やつはおれをおびきだして、一か八かの勝負をいどみかけようとしているのだ!」 信玄は漸く政虎の真意を悟り、慌てて本陣を茶臼山に移した。相手にとって不足はなし、さすがは武田信玄である。 『霧は益々深くなって、今は空にある月の姿も見えない。漠として天地を閉ざす霧のこまかな粒子の一つ一つに月光がこもって真珠色の厚い幕となり、一間も離れればもう何も見えないほどであった。』 上杉勢は、ひたひたと武田勢に近づいていた。それは風の草原を過ぎる音とも、遠い川瀬の響きとも知れなかった。すべては霧に包まれ、異様な物音だけが聴こえて来たに過ぎない。こうして上杉・武田両軍の戦の火ぶたは切って落とされたのだ。 私たちは、事を起こす時、どうかすると計画通りに推し進めようとする。少しでも面倒を省き、合理的に済ませたいからだ。だが、上杉謙信の清々しさを目の当たりにした時、そのあふれる男性的気概に思わず圧倒される。すべてを天に委ね、何の駆け引きもなく、全力で敵にぶつかっていく姿は、上杉謙信以外の武将には見受けられない。海音寺潮五郎の描く上杉謙信は、清廉で、神仏と秩序を重んじた、無類の闘将である。私はこの謙信の生き様が大好きだ!できるなら一人でも多くの方に『天と地と』を読んで、謙信のあれやこれやを知って頂きたい。おすすめの逸作だ。 『天と地と(下)』海音寺潮五郎・著☆次回(読書案内No.145)は村松友視の「幸田文のマッチ箱」を予定しています。『海音寺潮五郎/天と地と(上巻)』はコチラ『海音寺潮五郎/天と地と(中巻)』はコチラ★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから