読書案内No.150 江國香織/犬とハモニカ 優雅で上品、まるで海外小説の翻訳を読んでいるよう
【江國香織/犬とハモニカ】◆優雅で上品、まるで海外小説の翻訳を読んでいるよう昼寝から目が覚めた。ごわごわする布団をどけて徐に上体を起こし、また眠りに引き込まれないようにする。だが、それでもダメな場合はあきらめるしかない。(単に昼寝のあとのことだけど、江國香織風の文体にしてみた。) とても不思議なんだけれど、読後ものすごく雰囲気に酔わされてしまう作家というのがいて、私にとってそれは村上春樹と江國香織なのだ。日本からかけ離れた渇いた空気と香りを感じる。ジメついていなくて、優雅で、まるで海外小説の翻訳を読んでいるような錯覚に陥ってしまう。 江國香織は目白学園女子短大国文学科卒。その後、デラウェア大学に留学したようだ。(ウィキペディア参照)代表作は今さら紹介するまでもないが、『きらきらひかる』があって、それは映画化されているし、『号泣する準備はできていた』で直木賞を受賞している。辻仁成との共著である『冷静と情熱のあいだ』も話題となった。 『犬とハモニカ』は短編集となっていて、どれも文学的な香りがプンプン匂う。おさめられているのは表題作である『犬とハモニカ』『寝室』『おそ夏のゆうぐれ』『ピクニック』『夕顔』そして『アレンテージョ』の6篇である。どれも好きな作品だが、私がものすごくホラーを感じたのは『ピクニック』である。あらすじはこうだ。 「僕」と杏子は結婚して5年になる。杏子の嗜好で、近所の公園に度々ピクニックに出かける。と言っても、結婚前にはそういう習慣はなく、ある日いきなり始まったのだ。「僕」は杏子を風変わりな女性だとは思っていた。でもそれはあくまで「個性的な子」という意味で理解していた。だが少しずつ「僕」は杏子のことを魔女のようだと思い始めた。たとえば杏子は夫である「僕」の名前を、どうしても覚えられないでいた。「裕幸(ヒロユキ)」が正しいのに、「ユキヒロさん」と言ったりした。いつも自信なさそうに呼ぶのだった。あるいはベッドの上でも顕著なことがあった。「僕」が望めば拒みもせずに脚を開き、背を反らせる。「僕」にまたがって、「僕」自身を深々とくわえてもくれる。決して嫌がりはしない。「僕」は杏子に乱暴になり、おおいかぶさり、彼女を突き、離れ、また突く。だが杏子は行為の後、不思議そうな顔をしているのだった。 『ピクニック』に登場する杏子は、あるいは病んでいる女性かもしれない。だが「病んでいる」とは一言も触れていないところがコワい。読者は「僕」といっしょになって杏子の異常性を知り、恐怖を覚えるのだ。快楽を貪ることは、決して大きな声では言えないけれど、実はとても人間らしい営みと言える。感情を伴わない相手と肉体関係を結ぶことは、とても虚しい。「気持ちイイ」も「イタイ」もなく、淡々と行為を進行していくことの無機質さと言ったらない。この部分を読んだ時、いかに喜怒哀楽が人間としての本質的な感性であるかを思い知ったのである。 江國香織の作品は、決して多くを語らないけれど、読者に「あなたはどう思う?」と問いかけて来るような響きがあって、私には心地よい。上品な小説を読みたいと思っている方におすすめだ。 『犬とハモニカ』江國香織・著☆次回(読書案内No.151)は未定です、こうご期待♪★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから