草原の椅子
【草原の椅子】「みんな恐いんだよ。だけど圭輔、勇気を出せ。勇気を出して自分の足で歩くんだよ」「トーマは?」「俺は見てる。ここでお前をちゃんと見てる」この作品を見た時、「これってもしかして原作は浅田次郎かな?」と思った。実際は宮本輝なのだが、我ながらイイセンいってたのではなかろうか。久しぶりに邦画らしい邦画を見た気がした。やっぱり日本映画の目指すところは、こういうものでなければいけない。派手なアクションや次々と起こる殺人事件の謎解きは、ハリウッドにお任せしようではないか。メンタルの弱っている日本人には安心して鑑賞することのできる正統派の邦画をおすすめしたい。 主人公が至って平凡なサラリーマンという設定が取っつき易い。しかも妻と別れて大学生の娘と二人暮らしという、しがないビジネスマンの裏寂しさがひしひしと伝わって来る。マジメさが滲むのは、銀座のクラブやキャバクラで派手に飲むのではなく、ごく一般的な居酒屋でちびちびやっているシーンである。主人公の遠間に扮するのは佐藤浩市。この役者さんは年を経るごとに役の幅が広がっているような気がする。 ストーリーはこうだ。カメラメーカーに勤務する遠間は、仕事で疲れた体を癒すため、自宅で一杯やろうとしていた。ふいの電話に出てみると、取引先である“カメラのトガシ”社長であった。社長の富樫が「助けてほしい」と言う。愛人に別れ話を切り出したところ、逆上して灯油を全身にかけられてしまったとのこと。遠間は面倒なことに関わるのは避けたかったが、富樫の必死さに根負けし、車で迎えに出かけ、さらには自宅の風呂を貸してやるのだった。その後、富樫は関西人気質らしく、遠間の親切心が身に染みて「親友になってくれ!」と、頭を下げる。遠間はビジネス上の関係としか考えていなかったが、そういう泥臭い付き合いもいいかもしれないと、いつの間にか富樫と友情を深めていく。そんなある日、遠間の一人娘である弥生が、バイト先で知り合った上司の子どもを、しばらく預かることになった。子どもは男の子で4歳、名前を圭輔と言った。母親から度重なる虐待を受け、成長が遅れているのだった。遠間は子どもを預かることに反対したが、弥生の並々ならぬ気迫に圧倒され、渋々ながら協力することになった。 宮本輝のオリジナルの方を読んでいないため、この映画だけに関して感想を言わせてもらう。単純に捉えるのなら、身勝手な大人の無責任きわまりない育児放棄と虐待への批判である。無論、その一点だけではない。大人の友情、これが際立っている。何気ない親切心と、会話から生まれるほど良い親密さ。つかず離れずの節度ある交際というのは、だれもが目標とする友人との関係であろう。主人公・遠間と陶器店の女性店主・貴志子との関係は、ラストでちょっとムリが生じたようにも感じるが、それでも好感が持てる。大人になってからの恋愛は、このぐらいおっとりとしていて安定している方が、本物のように思えるからだ。 さらには、根っこのところで経済至上主義への痛烈な批判も感じられ、テーマは一つには絞れない。そんな中、パキスタン北西の地・フンザの、心が洗われるような風景は見ものである。“世界最後の桃源郷”と言われるだけあって、『草原の椅子』は、この風景のワンカットを見せるために作ったのではないかとさえ思うのだ。 2013年公開【監督】成島出【出演】佐藤浩市、西村雅彦、吉瀬美智子