読書案内No.165 いとうせいこう/想像ラジオ 震災による膨大な被害の前に、残された者が成すべきことは
【いとうせいこう/想像ラジオ】◆震災による膨大な被害の前に、残された者が成すべきことは静岡のジュンク堂書店でいとうせいこうのサイン会がおこなわれたらしい。『想像ラジオ』が、静岡書店大賞(小説部門)を受賞したからだ。私はご本人にお会いすることは叶わなかったけれど、以前から一読したいと思っていたので『想像ラジオ』を購入することにした。ありがたいことにサイン本だった。一生、大切にしようと思う。 いとうせいこうと言えば、みうらじゅんとの共著である『見仏記』を読んだ程度で、他はあまり知らない。新聞や雑誌などのコラムでいとうせいこうの記事を見つけたりすると必ず読むけれど、その時の印象はごくごく一般的な内容だったように思う。『想像ラジオ』読むきっかけともなったのは、ウェブサイトで公開されている*対談での発言を読んだことからだ。(*対談いとうせいこう×星野智幸)驚いたのは、いとうせいこうが鬱病を患っていたということ。前作は『去勢訓練』なのだが、『想像ラジオ』発表まで、なんと16年ものブランクがあったのだ。作家にはありがちなスランプと言ってしまえばそれまでだが、「書けなくなってしまった」状況を想像すると、、、いや、想像できない。そのブランク中、みうらじゅんとのライフワークともなっている『見仏記』シリーズの執筆は進んでいたので、おそらく小説としての文章に限って書けない状況に陥っていたのではと思われる。 そんな中、2011年3月11日東日本大震災に見舞われた。この時、多くの人が失語的な状況を味わった。いとうせいこうが書けなくなってしまったのと同じように、震災によって日本中が言葉を失ったのである。それまでの世界観が音を立てて崩れてしまった。現実を言ってしまえば、音声として発せられる励ましの言葉や、紙に書かれた文字なんか、何一つ役に立たないことが露呈してしまったからだ。言うまでもなく、震災後は小説が無力なものになってしまった。どれほどの美文とリアリティーで描かれようと、うすっぺらなものにしか感じられなかったのだ。そこで漸くいとうせいこうは、悟り(?)を開いたようだ。つまり、「死者の存在を受けとめる」小説を書くことである。 「想像すれば絶対に聴こえるはずだ、想像力まで押し潰されてしまったら俺達にはあと何が残るんだ」 こうして『想像ラジオ』が誕生した。 私個人の正直な感想を言わせてもらうと、この小説は退屈だ。当然だろう。娯楽小説ではなく、文学だからだ。ファンタジーな要素もあるし、思索的でもある。柔軟な姿勢がないと、得られるものも得られない。 震災に関しては、様々な意見、考え方があるだろう。ありがたいのは、それらどんな姿勢であれ、読者の生き方を尊重してくれるのが『想像ラジオ』の世界観である。「書けなくなってしまった」いとうせいこうが、自分を奮い立たせるようにしてペンを執った『想像ラジオ』は、これまでにない「未知の形の小説」となって発表された。実際に被災したわけではないいとうせいこうが、全力で真正面から引き受けて、全部想像して作り上げた作品なのだ。内容上、私が簡単にあらすじを言ってしまえるものではない。まずは一読し、読者が可能な限りの想像を膨らませてみることだろう。ただし、従来の小説を望んでいる方々には苦痛でしかない。積み重ねられていく文体ではなく、感覚を求められる作風となっているからだ。まずは興味のある方、新しい未知の小説に触れて感動していただきたい。 「亡くなった人はこの世にいない。すぐに忘れて自分の人生を生きるべきだ。まったくそうだ。いつまでもとらわれていたら生き残った人の時間も奪われてしまう。でも、本当にそれだけが正しい道だろうか。亡くなった人の声に時間をかけて耳を傾けて悲しんで悼んで、同時に少しずつ前に歩くんじゃないのか。死者と共に」 『想像ラジオ』いとうせいこう・著★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから