読書案内No.173 山田太一/空也上人がいた いつも僕の傍に空也上人がいる
【山田太一/空也上人がいた】◆いつも僕の傍に空也上人がいるここのところ私は、生涯をかけて大切にしていきたいような素晴らしい小説と出合っている。そのことで人生が大きく変わることなんて、まずないけれど、良質で分け隔てのない物語の世界にゆったりとくつろぐことができる。著者は私の大好きな作家・山田太一である。シナリオライターとしてはあまりにも有名で、代表作に『ふぞろいの林檎たち』等がある。小説では『異人たちとの夏』があり、山本周五郎賞を受賞している。 山田太一の描く主人公の特徴としては、たいてい心に闇を抱えている。例えば、仕事に忙殺されていてものすごく疲れていたり、生活には不自由していないけれど孤独を感じていたり、過去の拭えない記憶に壮絶な自己嫌悪を抱いていたりするのだ。人は皆、多かれ少なかれ、どうしようもない闇を内包して生きている。そんな持て余し気味の自分を、ある人は何でもないことのように振る舞ってみたり、またある人はあきらめの境地で受け入れているのかもしれない。 『空也上人がいた』は、27歳の介護ヘルパーである男性が、勤務先の特養老人ホームである秘密を抱えてしまい、その心の闇を抱えつつも、独居老人や46歳女性・ケアマネージャーとの関わりを描いたものである。 ストーリーはこうだ。特養老人ホームで介護ヘルパーとして働いていた27歳の中津草介は、2年4カ月で退職してしまった。夜勤、オムツ交換、食事介助、徘徊、そんなことの繰り返しから極度の疲労が蓄積していたかもしれない。車椅子で認知症のある利用者を、廊下でつまずいた勢いで、車椅子から転げ落としてしまった。その利用者は6日後に亡くなった。草介は仕事を辞めた。そんな中、ケアマネージャーである46歳の重光雅美は、何かと草介に目をかけていた。在宅の独居老人の介助という仕事を持って来たのは、重光が個人的に草介を信頼してのことだった。草介は、とりあえずその依頼を受けることにした。依頼主は81歳で一人暮らしの吉崎征次郎だった。6年前に妻を亡くし、子どもはいなかった。その吉崎が草介に「京都へ行ってくれ」という。草介は怪しみながらも、京都まで出向き、指示どおりに六波羅蜜寺へ行った。そして宝物館へ入館し、空也上人の彫刻を目の当たりにするのだった。 この小説は恋愛小説というカテゴリに入ると思う。それなのに、これまでの恋愛小説と一線を画すのはなぜか?おそらくきっと、ふわふわしたメルヘンからはほど遠く、より現実味を帯びたストーリーだからであろう。もちろん、読者を意識してよりドラマチックな展開にはなっている。それでも恋愛の向こうに結婚があり、結婚の向こうに介護問題が見え隠れするのは、凄まじいリアリティーさだ。だが心配はいらない。著者はちゃんと救いの手を差し伸べているからだ。人間はそれほど強い生きものではないことを承知の上で、空也上人という壮絶な修行僧を心の支えとして登場させている。(いつも我々と共に歩んでくれるという意味で。) さて、小説のラストでは、草介が老後のことを夢想している。妻の乗る車椅子を押して歩く自分の姿を見ているのだが、その時の妻の目がスゴイ。この描写に私はホラーを見た。山田太一の小説はどれも秀逸だが、この『空也上人がいた』は、さらに輪をかけた素晴らしさである。人生につきまとう自己嫌悪の気持ちを、そっと包み込むような優しさと寛容さを感じさせてくれる作品なのだ。 『空也上人がいた』山田太一・著★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから