読書案内No.182 古事記・日本書紀 天皇のもとに独自の世界を成立させる日出ずる処の国
【古事記・日本書紀/新潮古典文学アルバム】天皇のもとに独自の世界を成立させる日出ずる処の国夏の暑さと私自身の怠惰のせいで、ブログが滞ってしまった。だれに何の迷惑をかけているわけでもないが、楽天ブログを通して公に発信している以上、いろんな意味で責任をもたなければと痛感している。私が個人的に気をつけているのは、特定の作品、人物への誹謗中傷は絶対しないということ。匿名性の強い個人のブログで、そういう攻撃的な態度は絶対に許されないと思うからだ。やはり、名指しでの攻撃をする場合は、こちら側も本名を名乗り、同じステージに立ってからの論争が妥当だと思っている。 私はたまに、本当にたまに駄作と思われる映画にぶち当たってしまうことがある。もう、そういうときはレビューを書かないことにしている。(笑)書いたら最後、とんでもない悪口だらけの記事になってしまいそうだからだ。 なぜ私がこんなことをつらつらと文章にしているかというと、他のいろんなブログを見るにつけ、たいていの方々はステキな画像と素直な感想でまとめられていて、ほっこりする心地よさがある。だが、中にはそうでない記事もある。一つの個性だとスルーできるものもあれば、「ちょっと、これはマズいでしょ」と、眉をひそめるものもある。そういうブログを目の当たりにしたとき、同じ日本人としてルーツは同じなのだから、先祖を敬い、同胞には敬意をはらってお付き合いしましょうよ、と声をかけたくなるわけだ。 今回、私が手にしたのは新潮古典文学アルバム1「古事記・日本書紀」である。全24巻から成っているものだが、図書館にはたいてい置いてある。帯のキャッチコピーがスゴイ。“ハートで読み、古典に遊ぶ”やっぱり日本人として自分たちのルーツを知るということは、ある程度の年齢になったら義務なのではなかろうか。小さいとき、ギリシャ神話を夢中になって読んだものだが、どういうわけだか古事記あたりになるとあまり印象にない。読んだのか読んでないのかすら覚えていない。自分のルーツを知るための日本の神話であるにもかかわらずである。そこには様々な理由があることは知っている。(だが、ここではその件については省略する。) 古典文学アルバムをおすすめしたい理由の一つに、豊富な写真を楽しめるということがある。たしかに寄せられているエッセイ(記事)は堅く、重厚感があるけれど、掲載されている写真はどれも参考資料として申しぶんのない秀逸なものばかりである。イザナギ・イザナミの物語を知りつつ、それにまつわる天橋立(京都府宮津市)やイザナキ神宮(淡路島)などの写真を眺めるのは、へたな旅行ガイドブックなんかより数段たのしめるものだ。また、恋愛に関して奥手のはずの日本人が、実は奔放な性と恨みつらみの激烈な感情を持った民族であったことが明かされる。最後に、「古事記・日本書紀」にエッセイを寄せている大庭みな子の一文を引用しておく。 『これは、人間の話、力みなぎる雄々しくも麗しい命のさま、切なくも滑稽な、怖ろしい、むごい、神々しい人間の話である』 「新潮古典文学アルバム1 古事記・日本書紀」 大庭みな子◆神野志隆光・執筆★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから