読書案内No.198 坂崎千春/片想いさん 静けさと孤独の中につむぐ独身女性の独り言
【坂崎千春/片想いさん】仕事でクタクタに疲れて帰ると、もう何もやりたくない。それを見越してコンビニでおでんを買って帰る。私が好きなのは、大根、玉子、つくね、餅きんちゃくである。おつゆもたっぷり入れてもらうのだが、冷やご飯にかけて食べると美味しいからだ。小さな正方形の食卓におでんとご飯とお漬物を並べて、ささやかな夕餉を楽しむ。大学生の息子は帰宅が遅いので、私はいつも一人で食事を済ませる。こういう生活は決して嫌いではない。自分なりに時間を節約して自分のためのゆとりを作って楽しんでいるからだ。親子と言えども人格は違うのだから、自分の都合につき合わせるわけにもいかない。すでに成人している息子には息子のやり方があるし、都合もある。自分の責任において好きにやればいいのだ。 私の生活に彩りが感じられないという友だちがいるとしたら、思いつく点が一つある。それは“恋”をしていないということ。私はどこかで、恋を幻想だと思っている。誰かを好きになるのは結構なことだが、一歩まちがえたら宗教にも似て、対象相手のすべてを信じ、あこがれ、没入してしまう恐れがあるからだ。 そんな中、『片想いさん』を読んだ。著者は坂崎千春で、これが初エッセイ本となる。もともと『片想いさん 恋と本とごはんのABC』というタイトルで出版されたものだが、改題され、文庫化された。この作品はあくまでエッセイなので、小説のような劇的な展開があるわけでもなく、テーマ性を重視したノンフィクションとも異なる。とにかく静かだ。静かな日常と、地味な恋バナを自分なりに受け入れ、消化しようとする独身女性の告白である。 坂崎千春は作家は作家でも絵本作家であり、イラストレーターとして活躍する。東京芸術大学美術学部デザイン科卒。代表作としてJR東日本のSuicaのキャラクターであるペンギンや、千葉県公式マスコットのチーバくんなどを手掛けている。(ダイハツのテレビCMに登場する鹿のカクカク・シカジカなど人気キャラクターをも生み出している。) 『片想いさん』を読んでつくづく実感したのは、これだけの富と名声を手にしてもどこかで人は満ち足りることのできないイキモノであるのだな、ということ。坂崎千春は仕事では成功しているけれども、恋愛は成就することなく、いつも片想いで終わっているらしい。そのどうしようもない孤独感とか寂しさは、徹頭徹尾、終始一貫している。ご縁があって今後結婚し、子どもでもできれば胸にポッカリと空いた穴のようなものは埋められるかもしれない。(ご本人は年齢的にも子どもを生むのはあきらめたようだ。) 私がこのエッセイを支持する理由。それは紛れもなくリアリティを感じられるからだ。単なる日常の雑記的なエッセイなら、あえてこちらのつたないブログにアップして紹介するまでもない。私の心を鷲づかみにして放さなかった一文を紹介しよう。 ずっと秘密にしてきたことがある。ひとりの友人と妹には話したことがあるけれど。「わたしは両思いになったことがない」そして「男の人と寝たことがない」。三十二才にもなって。ただの一度も。 いや、驚いた。内容に驚いたのではない、決して。これほどまでに知名度もあり、芸人でもない一人のイラストレーターが、潔くも深いメッセージをつむぐのは珍しい。私は素直に応援したくなった。どうか神様、この作者に生涯のパートナーを見つけてやって下さい、と。でもきっとそんな私のよけいなお節介など一笑されてしまうに違いない。「シングルのお前に言われたくない」と。いずれにしても、世の中の、生まれてこれまでカレシのいない女性にはおすすめのエッセイ本である。やがてこのエッセイは手放せない愛読書に変わることだろう。 追記:エッセイの他に、手書きの料理レシピ、本の紹介などもされている。 『片想いさん』坂崎千春・著 ★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから